2012年(平成24年)2月18日 今日は男山で行われる「厄神さん」を紹介します。

男山は、私が子供の時によく遊びました。 夏になると「毎日」セミ取りに行ったもんです・・・これからは孫と行けます(笑)
今日は、ここで毎年行われる「厄神さん」に行きました。
全く関係ありませんが「初恋の女性」にも出会いました・・・・彼女も、今年4人目の孫が生まれるそうです(お互い年をとりました)。

嬉しい(得意満面)時の表情です。

スシローで食事をしましたが、食欲旺盛で頼もしい限りです(ジジバカです)。
ホームページも、最近は寒いので更新する材料にも困っていましたが、孫が来てくれると材料に事欠きません。

カメラ目線で構えています・・・? タマゴ焼きを食べています。 おうどんも食べました。

突然ですが、1才の記念に写したアルバムを受け取りに行きました。
↓の写真ですが、メールで送ってくれたものを貼りましたので、画像ファイルが小さくて表情がよく分かりませんね。

肝心の「厄神さん」の様子はあまり写しませんでしたので割愛して、同じ場所にある「千姫神社」を紹介します。

「千姫」と言われる(呼ばれる)のは、徳川二代将軍「秀忠」とその正室「江」の長女で、徳川家康の孫にあたります。
「徳川二代将軍:秀忠の長女」ということは、3代将軍:家光のお姉さんという事です。
ついでに言うと、お母さんの江は織田信長の妹「お市の方」の娘です。

全く話は横道に逸れるのですが、お市の方は「絶世の美女」だったそうです。
千姫から見た場合、おばあちゃん(お市の方)が美人なら娘(江)もほぼ美人でしょう・・・そしてその娘(千姫)も美人でしょう。
そもそも「美人」というのは遺伝するのです。 認めたくはないのですが、ブスからは美人は生まれないのです。
京都のお祭りで「葵祭」というのがあり、その時選ばれるのが斉王代(さいおうだい)ですが、もちろん美人が条件です(?)。
そして不思議な事に、お母さんもおばあちゃんもお姉ちゃんも従姉も斉王代に選ばれたとか・・・とにかく、美人からは美人が生まれるようなんです。

本題に戻って、千姫は慶長8年(1603)7歳の時、豊臣秀吉の嗣子秀頼と結婚します。
家康が豊臣氏を攻めた大坂冬の陣・夏の陣では秀頼とその母淀(江の姉 千姫の伯母にあたる)とともに大坂城にこもりますが、
慶長20年(1615)5月、落城の前夜に脱出(家康の命令で救出された)して家康の陣に連れて行かれ江戸に送られました。
翌年、伊勢桑名城主本多忠政の子忠刻と再婚し、元和3年(1617)忠政の転封にともない忠刻とともに姫路城に移ります。
寛永3年(1626)、忠刻が父に先立ち病没したため、ふたたび江戸城に戻り落髪して天樹院と称し、城内の竹橋御殿に住んだそうです。

千姫は姫路で過ごした短い時間が本人にとってものすごく幸せな時間だったそうです・・・・ただ、実際は分かりません。

愛嬌のある顔で羽子板にしたためられています。 別の場所にある説明板です。

初秋の 風をすだれ(簾)に巻(まき)とりて
軒は(端)に覆(おほ)う 竹の葉の露(つゆ)

この和歌は、千姫が父親(徳川二代将軍:秀忠)から送られた安宅(あたか)船を預けられたことを記念して
一家一族の繁栄を祝福するため、8月14日の宵待ち月を期して、月見方が「船」のお題で歌の会を催した時の「連歌」の一部で
千姫が姫路で残した唯一の歌と言われています。

その千姫宮が祀られている「男山」から見た姫路市内:姫路城の様子を紹介します。

お城は現在修理中です。 右端に見えているのが千姫の「化粧櫓」です。 市内中心部から南方の様子です。
山頂は公園になって整備されています。 裏から上る階段(約100段)です。 正面から昇る200段の階段です。

お話が長くなってしまいました・・・・
今日(2012年2月20日)、本屋さんで立ち読みをしていると「千姫様」という本が目に入りました。
平岩弓枝さんが書かれているのですが、これも何かの「ご縁」と思って買いました。

これからオイオイに読んで紹介しますので「本日終了」させて頂きます。

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