2011年8月14日  「新・堕落論」 パートU(熱が入ってきました)

「文芸春秋」の2010年7月号に寄稿された、藤原正彦氏による「一学究の救国論:日本国民に告ぐ」をご存知でしょうか?
これについての(慎太郎氏の)発言がありますので紹介します。

藤原正彦氏の日本国民に訴える痛恨の論文を、それを読んだ私(石原慎太郎)の息子の一人が、「強い感慨を感じた」というので読んでみたが、期待に反しました。
というのは、藤原氏の痛憤はすべて私達の年齢の識者の知る所であって、国民全体の関心事たり得ません。
また、「彼の論文はこの国の自主性を欠いた現況をいかに克服するかということに対して、決定的な案にいささか乏しい」と指摘したら
「いや我々の世代は藤原氏が記した≪この現況をもたらした過去の他者からの作為の事実≫についてさえ全く知らないのだから、知らぬ者にとっての印象は衝撃的であった」と。

その指摘は正当なものだろうし、その責任は私達世代にあります。
過去の戦争の意味合いについても、その存在すら知らぬ世代を育てたのはまさしく彼等の親である我々に他ならない。
自分の祖父(じいさん)さん祖母(ばあさん)さん達が何をしたかも知らぬ人間たちには、彼らがもたらしたこの現代の意味合いをとても理解しえないでしょう。

その反省から、私(慎太郎氏)は東京都に限っては2011年度から、公立の高校においては「近代史現代史」を選択科目ではなしに必須科目とすることに決めました。
これは一刻も早く全国規模で行われるべきものだと思います。
そこで何をいかに教えるかは次の問題であって、例えば過去にこの国が行った戦争については、いきなり「戦争をすべて悪」といった観念に依らず、
その時の世界の状況をくまなく知らせることで、その中での「選択の是非」については、それを教える者の意見は入れずに、教えられる者達の判断選択に任せたらいい。

私がかつて参観した、中国系の国民が多いシンガポールの学校では、アメリカ・中国の国交回復の歴史について、それを遂行した毛沢東やキッシンジャーといった人物と
そっくりな役者を使ったドラマを見せることで、それ(国交回復の歴史)への評価を生徒に行わせ、教師の判断を挟む事なしにすませていました。
いずれにせよ、自らの国家社会の近い過去の出来事について、教える側の一方的な価値判断でその存在すらを無視して済ませるのは
子供を育てる側の人間の無責任というよりも、罪とも言われるべきではないでしょうか。

十数年前、第二次大戦の折の海軍エースパイロット:坂井三郎氏(空軍のエースとは敵の飛行機を一番多く撃墜したパイロットの事)の話を聞いたことがありました。
場所は、日本にある外人記者クラブのアソシエイト・メンバー(ゲスト位の意味でしょうか)です。

氏は冒頭、
ご覧の通り自分はあの戦争で片目を失い義眼でいるが、といってあの戦争について後悔など毛頭していない。
自分も参加し、懸命に戦ったあの戦は今思い直してみればみるほど、偉大な意味を持つ戦争だったと思う。だってそうではありませんか、
あの戦争が起こったことで、戦後ほとんどの植民地は独立を果たし、私のように顔の黄色い者、もっと浅黒い中東の人々、さらに真黒なアフリカの者たちは、
その後の国としての出来不出来はあっても、すべて独立を果たし一人前に国連に参加し、世界の動向を決める為の一票を持つことが出来たのですからね。

それを聴いて私は思わず拍手したが、たった一人の拍手を聞き咎めた(メーンテーブルで、こちらに背を向けて座っていた)若いアメリカ人の記者が私を睨みつけ、
なにやらメモにしたためると、私の前に座っていた日本人に「それを渡せ」と促し、講演後に質問が許されるのに無礼にも席を立って出て行った。
メモには「石原、お前は極右の気違いだ」と記されていました。  (なお、この侮辱:無礼に対しては不問にしておきました。以下省略)

アメリカ人(占領軍)の物の考え方を知る上で参考になると思われる事例を紹介します。評論家の村松剛がニューヨークタイムズ本社で入手した記事ですが、
「日本が降伏した日の新聞のコピー」と、「ドイツが降伏した日の新聞のコピー」では論説内容には極端な差があるのです。

ドイツに関しては、
この優秀な民族はナチズムによって道を誤りはしたが、それを反省し自らの手でナチスを裁くだろう。 我々はこの国、この民族の再生のために存分の援助と協力を惜しむまい。

日本の敗戦については論調ががらりと変わって、論説の横に漫画が添えられている。
漫画は醜悪で巨大な怪物が横たわって、あんぐり開いた大きな口の中にヘルメットをかぶったアメリカ兵が入っており、剥きだしたまがまがしい牙を大きなヤットコで抜き取る作業をしている。
その解説には、
「この怪物は倒れはしたが、いまだに生きている。この醜悪で危険な怪物の毒のある牙を我々は世界の為に、どれだけ長い時間をかけてでも徹底的に抜き去らねばならない」と。
この対比の根底には、顕かに人種への偏見、則ち「白人としてのおごり」があります。戦後の日本へのアメリカの支配も、それに拠っているのです

またちなみに、ドイツはニュルンベルグ裁判の後、旧ナチスの責任者の罪を幅広く問うての裁判を行ったが、日本は連合国による東京裁判だけで事を済ませてしまった。
あの惨禍をもたらした戦争の「他の責任者」を裁きもせず、あの戦争の歴史における幅広い意味合いを彼等(アメリカ)の裁断にゆだねるだけで済ませてしまったのです。
その結果戦後において、あの戦争を引き起こした日本だけを一方的に悪者にした「東京裁判史観」が、日本の近代史、現代史を考える基準にされてしまったのです。

東京裁判でも、
外国人を含めて一部の弁護人は、あの戦争の中でアメリカが行った戦争における非道、つまり「戦争の在り方を規定したジュネーブ条約違反」を列挙してみせたが相手にされなかった。
ジュネーブ条約では、戦闘によって意識的に非戦闘員を殺してはならぬとありますが、アメリカの原爆投下は一瞬にして20万人を超す日本人を殺戮してしまった。
その他の例としても、
B級戦犯として処刑された中部軍司令官の「岡田 資(たすく)」中将は、もはや制空権を失っていた日本に対してB29による絨毯爆撃を行い、
名古屋周辺で民間人の多くを殺戮したパイロット(被弾してパラシュートで脱出していた)を、「ジュネーブ条約違反として処刑した罪」で戦後、処刑された。
もっとけしからぬのは
同じように制空権を失っていた首都東京に、アメリカの空軍司令官の「ルメイ」は、それまで高射砲の届かぬ亜成層圏を飛んでいたB29を、
超低空の200〜300メートルを飛ばさせ、焼夷弾による絨毯爆撃で一晩で10万人を超す都民を殺戮してしまった。
これは相手側(アメリカ)の記録にもあるが、その計画に一部のスタッフは「これは明らかにジュネーブ条約違反だ」と反対したが、
ルメイは「日本はうすぎたない国だから、焼いてきれいにするのだ」と広言して、事を行ってしまったのです。
その相手に日本は戦後、「航空自衛隊の創設に功あった」として勲章を贈ったのだから、馬鹿みたいにお人よしの話だ。

日本及び日本人が真に自立するために絶対に必要な「精神的要件」とは、連合軍が勝利者として一方的に行った「東京裁判」の歴史観を払拭(ふっしょく)する事です。

その為の格好のよすががあります。敗戦後日本を統治君臨したマッカーサー元帥は、帰国後アメリカ議会で、
日本が引き金を引いた太平洋戦争は、歴史的に、あくまで≪自衛戦争だった≫ということが分かった」、と証言しているのです。
その訳は、日本を開戦に追い込んだ悪名高い「ハル・ノート」は国務長官だったコーデル・ハルが書いた物ではなく、
実は彼のスタッフだったホワイトが書いたもので、さらにマッカーシー上院議員による「赤狩り」の中で、ホワイトがコミンテルンの隠れたメンバーだったことが分かったのです。
(ホワイトはその後自殺に追い込まれています) モスクワの密命を受けたスパイが、ソビエトの南進の野望を遂げさせるために日本を戦争に追い込んだのです。
実際、ソビエトは敗戦の時のどさくさに乗じて南進し、日本の北方領土を掠め取ってしまったのですから・・・・・。

「ハル・ノート」とは、日本が近代化以降行った戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦での戦勝の結果獲得した海外領土と種種の権益を
≪一切放棄≫して返さぬ限り、アメリカ、イギリス、フランスの国々は一切の物資の供給を停止するという過酷なものでした。
戦争に反対し続けていた昭和天皇もこれを見て、「ここまで言われるのなら≪覚悟≫せざるを得ない」と、開戦を決意されたのです。

アメリカ議会における、マッカーサー元帥の重要な証言は、東京裁判を行わしめた当事者としての画期的な認識を示したものなのに、なぜか、日本の政府、
特に文部省はその重要な史実を教科書に載せる事を「禁止」してきました。これは敗者の卑屈とか弱腰などというよりも、まさに「売国奴」的な指導でしかありはしない。

日本は売られたケンカを已む無く買ったのに、
有色人種ゆえに野放図な侵略者として位置づけられ、それを一方的に断定した東京裁判のトラウマから未だに抜けきらずにいるのです。
自らの事ながら、「情けないというより哀れ」と言わざるを得ない。 (哀れというも愚かなりけり・・・・・でしょうか)

藤原正彦氏は国家の復興のために、
「祖国への誇りを取り戻し、祖国の育んできた輝かしい価値観を再認識する必要がある」と説きますが、それだけではいかにも抽象的に過ぎます。
日本という国が国家としての品格を取り戻し、活力を備え直していくために、「我々は今具体的に何と何をしなくてはならないのか」を本気で考えなくてはならない。

以下は再度熟読後に続きます・・・・・2011年8月15日(敗戦:終戦記念日)午後6時24分です。

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