2011年2月20日 「日本国民に告ぐ」  真面目に大袈裟な事を書いています・・・・・
 
ただし、書いているのは私ではなく「国家の品格」を書かれた藤原正彦さんです。
私はその考え方に共感しますので、(顰に倣って≪ひそみにならって≫)お節介にも著作権を侵害しながら、敢えて紹介しているだけです。

閉塞感に包まれているこの国は一体どこで道を誤ったのか・・・・・
「国家の品格」の著者があえて提言する「自立」「誇り」を取り戻すために、いま、日本人がなすべき事

1807年、ナポレオンの占領下にあったドイツの哲学者フィヒテは、≪ドイツ国民に告ぐ≫という講演で、打ちひしがれた国民に祖国再生の熱いメッセージを送った。
熱き思いを共有する私(藤原正彦さん)は、フィヒテの顰に倣い(ひそみにならい)、その柄でもないことを顧みず以下を認めた。

日本が危機に立たされている。
何もかもがうまくいかなくなっている。経済に目を向けると、バブル崩壊から20年近くになり、その間ありとあらゆる改革がなされてきたがどれもうまくいかない。
グローバル化に沿った構造改革も社会を荒廃させただけで、デフレは一向になおらない。財政赤字は世界一となり、なお増え続けている。
一人当たりGDPもどんどん低下するばかりだ。失業率は増え続け、自殺者数はここ12年間毎年三万人以上を記録し、世界トップの自殺大国となっている。

政治に目を向ければ相変わらずの「政治とカネ」ばかりである。
自国の防衛すら自ずからしようとせず、アメリカへの屈従と引き換えに防衛を請う有様である。とても独立国とは言い難いから、中国の首脳にいみじくも
「アメリカの妾国」と呼ばれてしまう。そう呼ばれてもさほど恥ずかしいとも思わない。
日米同盟を柱とするのは正しいが、集団的自衛権を行使しないという片務的状況を恥ずべき姿とも思わない。日米の駆逐艦が並んで走っていて、
第三者に日本艦が攻撃されればアメリカ艦は助ける義務があるのに、アメリカ艦が攻撃されても日本艦は助けない、というのだから子どもが考えてもおかしい。

アメリカに一方的に守ってもらうという弱みを持っているから、買いたくもないアメリカの国債を買わされ続け、すでに世界一、二を争う残高になりながら売る事さえままならない。
なぜかこれについては政府もマスコミも触れようともしない。「年次改革要望書」などという内政干渉に近い要求まで拒めなくなっている。
郵貯簡保の340兆円をアメリカへ差し出す為に行われた郵政民営化、世界で最も安定していた日本の雇用を壊した労働者派遣法改正、WHOに世界一と認められていた
医療システムを崩壊させた医療改革、外資の日本企業買収を容易にするための三角合併解禁など、みな「年次改革要望書」で要望されたものだった。


誰もがモラルを失いつつある国
政治を正しくするためには良い政治家が必要となるが、大量の小泉チルドレンに続いてさらに大量の小沢チルドレンと、
選挙の半年前までは国政など考えた事もないような素人が登場し、質は低下するばかりである。
我が国にも国政に参加したいという志を持つ優秀な人材はいくらもいるが、カネもコネも地盤も持たないが故に諦めている。
従って政治家の大半は相も変らぬ世襲議員、トップに目を付けられた素人、そしてスポーツやテレビなどで顔の売れた人ということになる。

期待を持てそうもない政治家が、「政治主導」などと言って殊更(ことさら)に官僚たたきに走る。
日米関係を傷つけた普天間基地問題の無意味な迷走なども、外務省や防衛省の官僚を外し政治主導で突っ走った挙句の事だ。
大半の政治家に比べ、中学、高校、大学、国家公務員試験という難関をくぐり抜け、門地貧富を問わず選抜された官僚の方が、知識、経験、そして見識についても上の事が多い。
政治家は、優秀者(国家公務員試験合格者)にありがちな傲慢狡猾に十分な警戒をしながら、官僚を知恵袋として利用しなければばらないのだ。
これまでの政党に飽き足らない議員がどんな新党を結成してみても、今後どんな政界再編があろうと、質の劣化した政治家達の区分けが変わるだけのことであり
質の向上にはつながらない。濁った水はどう分けても濁ったままである。

政治や経済の大崩れに追い打ちをかけるように、深刻な少子化が進みつつある。若者が20代で結婚したがらない。
やっと結婚しても産みたがらない。晩婚となれば産んでもせいぜい一人か二人ということになる。
ここ5年間の出生率は1.34程度で、人口維持に必要なのは2.08だから、ある時から相当急激な減少が始まる事になる。
ゆっくり減るのはよいことだが急激なのは様々な歪みを生むことになるはずである。

それ以上に深刻なのはモラルの低下である。
政治家や官僚のモラル不足だけではない。子殺し、親殺し、それに「誰でもよかったが殺したかった」という無差別殺人など、かつてあり得なかった犯罪が
頻りに(しきりに)報道されるようになった。世界で図抜けていた治安の良さも、かろうじてトップレベルという所まで落ちてきた。

子供達のモラルも一斉に崩れ、学級崩壊は日本中の小中学校で広く見られるようになった。陰湿ないじめによる子供の自殺が普通の事となった。
数世紀にわたっておそらく世界一だった子供たちの学力は、十年ほど前に首位を滑り落ち、その後も落ち続けている。
ケータイ病に侵された子供達は今や、世界で最も勉強しない子供達とさえ言われる。一生懸命勉強して将来何かをしたい、という志を持つ者さえ国際統計によると
極めて少ない水準にある。外国へ出て大きな未来に挑戦しようという青年が少なくなったから、アメリカの大学への日本人留学生は中国や韓国より少なくなった。
身近な幸せに安住し、ケータイ病やインターネットに興じている。視野が内向きになっている。それに学校にはモンスターペアレント、病院にはモンスターペイシャンツと
不満が少しでもあれば大袈裟に騒ぎたて訴訟にまで持ちこむ人々が多くなった。人権をはじめとして、やたらと権利を振りかざす人間が多くなった。

かつてこういう人間は「さもしい」と言われたものだ。
政治、経済の崩壊からはじまり、モラル、教育、家族、社会の崩壊と、今、日本は全面的な崩壊に瀕している。
それぞれの分野で、崩壊に気づいたそれぞれの専門家が、懸命に立て直そうと努力しているものの、どんな改革もほとんど功を奏さない。

この国の当面するあらゆる困難は互いに関連し、からみあった糸玉のようになっていて誰もほぐせないでいる。
部分的にほぐしたように見えても大抵は一時的なものに止まり、全体の絡みには何の影響も及ぼさない。
我が国の直面する危機症状は、足が痛い・手が痛い・頭が痛いという局所的なものではなく全身症状である。すねわち、体質の劣化によるものなのである。

漂流し沈下しつつある日本はどうなるのか。
日本人は今、深淵に沈み行く事を運命と諦めるか、どうにかせねばと思いながら確たる展望もないまま、ただ徒に焦りもがくばかりである。
古くより偉大なる文学芸術を生み、明治以降に偉大なる経済発展をなしとげ、五大列強の一つともなった優秀で覇気に富んだ日本民族は一体どうなったのだろうか。
祖国再生の鍵はどこにあるのだろうか。

一般に多くの困難を解決しようとする場合、一つ一つ着実に解決しようとするのは、誰でもまず考える事であるが、大抵の場合、労力がかかるばかりで成功しない。
多くの困難が噴出しているというのは、それら全てを貫く何か一つの原理が時代や状況にそぐわなくなっているということを意味する。
従って、この原理を変える事で諸困難を一気に解決する、というのが最も効果的なばかりか容易であるのだ。
それでは我が国は戦後、どのような原理で動いてきたのであろうか。
それを考えるには日本人とはどういう民族であったかという所から始めなければならない。

独立文明を築いた日本
ハーバード大学の国際政治学者サミュエル・ハンチントン教授は、その1990年代のベストセラー≪文明の衝突≫のなかで世界の文明を七つに分けた。
中華文明、ヒンドウー文明、イスラム文明、日本文明、東方正教文明(ロシアなど)、西欧文明、ラテンアメリカ文明である。
この中で、日本文明以外はすべて、多くの国にまたがるものだ。いかなる分野でも、学者が何かを分類しようとする時、なるべく簡明なものにしようとする。
複雑な区分けはもはや分類と呼べないからだ。当然、日本という小国だけに存在する文明を、中華文明に組み入れようとする。
ところが世界の文明を分類しようとする現代のどの学者も、日本文明を独立したものとみなすのである。
1万年も前の縄文時代からあった土着の文明に、西暦2世紀頃から中華文明が混じり、16世紀末からは西欧文明の影響を受けたものの、
主に日本という孤島で独自の発展を遂げた文明と見なさざるを得ないからである。明瞭に中華文明に含まれる朝鮮半島などと異なり、
日本文明と中華文明は何から何まで余りにも隔たっているからである。

日本人は古来、新しい進んだ文明に触れると、繊細な民族性だけにすぐに劣等感を持ち、それを見習い取り入れてきた。
漢字も仏教も西欧の技術もそうだった。ところが不思議な事に、その劣等感をバネに、それら新文明に必ず独創を加え、自分達独自のものに変えていくのである。
漢字が来れば間もなく万葉仮名、カタカナ、平仮名を発明し、漢文の訓読を始める。仏教の方も伝来して間もない奈良時代には神仏習合という離れ業をなしとげ
遣唐使の修了した平安末期の頃から日本独自の仏教を創始した。禅や儒教は中国では庶民にまで広がらなかったが、
日本では武士道にとりいれたのを皮きりに、ついには国民精神にまで広めてしまう。鉄砲が種子島に伝えられれば、その30年後には工夫に工夫を重ね
織田信長が世界最優秀の鉄砲を3千丁も量産していた。先進中国のものであっても君主専制や科挙や宦官は取り入れなかったなど、国柄との適合を念頭に
取捨選択と換骨奪胎(かんこつだったい)を繰り返しながら自らのものとしていたのである。

それでは日本文明とは一体どんな文明なのだろうか。
これは難しい問題である。とりわけその中で暮らしている日本人には見えにくい。空気の中で暮らしている人間が空気の存在に気付いたのは、
17世紀になってトリチェリが真空の存在を発見したからであった。人類誕生から数百万年もかかっている。自らの文明は自らは認識しにくく
異質の文明との比較によってようやく見えるものと言ってよい。幸いにして、幕末から明治にかけて来日した欧米人を中心とする多くの論者が様々な考察をしてくれた。
彼らは、長い航海の後、アジアの各地に寄りながら日本までやって来て、「日本人はなぜこうも他のアジア人と違うのか」ということに驚愕しつつ、
「日本とはなにか」について自問自答を繰り返したのである。多くの欧米人が日本を訪れ、新鮮な目で日本を見つめ、断片的であろうと、個人的印象にすぎないものであろうと
多くの書物に残してくれた事は実に幸運であった。日本文明が成熟をみた江戸時代の直後だった、ということはなおさら幸運であった。

彼等のことばをいくつか、≪逝きし世の面影≫を引用し、参考にしながら考えてみよう。
日米修好通商条約締結のために訪れたタウンゼント・ハリスは、日本上陸のたった2週間後の日記にこう記している。
「厳粛な反省ー変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まる。あえて問う。日本の真の幸福となるだろうか」。
彼は「衣食住に関する限り完璧に見えるひとつの生存システムを、ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊」することを懸念したのである。
ハリスの通訳として活躍したヒュースケンはこう記す。「この国の人々の質朴な習俗と共に、その飾り気のなさを私は賛美する。この国土の豊かさを見、
至る所に満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見出すことが出来なかった私は、おお、神よ、この幸福な情景が今や終わりを告げようとしており
西洋の人々が彼らの重大な悪徳を持ちこもうとしているように思われてならない」また、日英修好通商条約を締結するために来日したエルギン卿の秘書オリファントはこう記す。
「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているように見える事は、驚くべき事実である」。

多くの欧米人がいろいろの観察をしているが、ほぼすべてに共通しているのは、「人々は貧しい。しかし幸せそうだ」である。だからこそアメリカ人のモースは
「貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない」と言ったのだ。欧米では、裕福とは幸福を意味し、貧しいという事は惨めな生活と道徳的堕落など絶望的な境遇を意味するのだが、
この国では全くそうでないことに驚いたのである。明治6年に来日し、日本に長く生活したイギリス人バジル・チェンバレンはこう記す。
「この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。
・・・本物の平等精神、我々は皆同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである」

イギリス人の詩人エドウィン・アーノルドなどは、明治22年に東京で開かれたある講演で日本についてこうまで言っている。
「地上で天国あるいは極楽に最も近づいている国だ。・・・その景色は妖精のように優美で、その美術は絶妙であり、その神のようにやさしい性質はさらに美しく、
その魅力的な態度、その礼儀正しさは、謙虚ではあるが卑屈に堕することなく、精巧であるが飾ることなくもない。
これこそ日本を、人生を生甲斐あらしめるほとんどすべてのことにおいて、あらゆる他国より一段と高い地位に置くものである」
無論ここには詩人らしい誇張も含まれているだろう。しかし、実に多くの人々が表現や程度こそ異なれ、類似の観察をしているのである。


現代知識人の本能的自己防衛

ちょっと疲れましたし、長くなりますので「日本国民に告ぐ2」に続きます。

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