2011年8月15日 新堕落論V  これは長くなりそうです・・・・

突然ですが、「年次改革要望書」なるものをご存じでしょうか?
私も、藤原正彦氏の「日本国民に告ぐ」を読むまで全く知らなかったのですが、これはちょっとしたものですよ・・・・怒りで!

戦後から今日まで続いた平和の中で、顕在したものや、アメリカの手によって「閉ざされた言語空間」のように隠匿されたものも含めて、
今日まで毎年続いてアメリカから突き付けられている「年次改革要望書」なる者の実態をみれば、この国がアメリカに隷属しつづけてきた、
つまり「妾:めかけ」にも似た存在だったことは疑いありません。その間我々は囲われ者の常として、いかなる自主をも喪失し続けてきたのです。

未だに続いてアメリカから突き付けられている「年次改革要望書」なるものは、かつて自民党が金丸信支配の元で小沢一郎が幹事長を務めていた時代に始まりました。

当時アメリカは日本経済の進展に苛立ち、日米二国間で行う「日米構造協議」なるものを一方的に持ちかけてきた。
これは本来、先進国間の経済摩擦の解消のために設けられたOECDやWTOといった国際機関で行われる(解決の方法を話し合う)はずのものですが、
他の先進国も「相手があの日本なら(アメリカの好きなように)やらせておけ」ということでまかり通ってしまった。

その内容はこまごまと2百数十項目にも上るものですが、中には「ATMを昼間だけでなく深夜まで動かせろ」というものまでありました。
どれも一方的・勝手な要求で、私達有志の議員はそれに対抗して百数十の対抗項目案を作り、日本からアメリカへの改革要望書としましたが黙殺されてしまいました。
仕方なく、我々は外人記者クラブで発表せざるを得なかったが、これは日本の経済界には高く評価されました。

あれ以来連綿と続いているアメリカからの日本に対する改革要望書なるものの現今の実態はつまびらかにしないが、
それならば、それに対して日本からその相手にどのような改革要望が出されているのだろうか。
国際経済機関に属している先進国で、こうした主従関係にも似た関わりをアメリカと構えている国が他にあるわけがない。



ここでちょっと私の疑問ですが・・・・何故今まで「年次改革要望書」なるものが新聞で取り上げられなかったのでしょうか?
ネットで調べてみると、日本の大メディアは「敢えて取り上げない」姿勢であることが分かってきます。たぶん、触れられたくない
≪新聞社と政治家との癒着≫とか、≪利権がらみ≫があるんだろうと思います。以下↓にちょっとだけ紹介しますので、関心のある人はご自分で調べて下さい。

報道で年次改革要望書がほとんど扱われていないことについて

関岡英之、城内実などからは、以下の点から、年次改革要望書に関する報道が広く国民に充分になされていないのが事実だという意見がある。

                 ・建築基準法の改正提言には、アメリカ政府の介在がひとことも書かれておらず、法改正の新聞報道でもいっさい触れられていない。 
                 ・年次改革要望書の全文が日本マスメディアで公表されたことはない 。        
                 ・郵政民営化をはじめとする構造改革の真相を国民が知ることとなったら暴動が起きかねないので、マスコミ対策は用意周到になされていた。
                 ・郵政民営化に反対する政治評論家森田実が、ある時点からテレビ局に出演できなくなった。      
                 ・『しんぶん赤旗』『サキヨミ』一部夕刊紙以外の主要マスコミでは『年次改革要望書』が発表された事実そのものの報道もなされない。 
                 ・国会議員が国会で問題にしても、なぜか全国紙やテレビ局の政治部記者からは一件の取材もない。

私は以前から疑問に思っていたんですが、新聞は「報道の自由」を言いますが、実は「報道しない自由」を持っているのです。
自分たちに都合の悪い記事は載せないのです。きれい事は一杯書けますが、常に建前では身が危ないのです。本音は保身です。
(大相撲の)八百長問題なんかも、知っているけど「言わなかった」んでしょう・・・・言えば大相撲の記者クラブから締め出されますから記事が書けなくなって困るのです。

要は、「年次改革要望書」とは「内政干渉」にも当たるものなのではないかと思っています。

本(新・堕落論)に戻ります。
トインビーはその著書「歴史の研究」で、歴史の原理について明快に述べています。
「いかなる大国も必ず衰微するし、滅亡もする。その要因はさまざまあるが、それに気づくことで速やかに対処すれば多くの要因は克服され得る。
しかし最も厄介な、≪滅亡に繋がりかねぬ衰微の要因≫は、自らに関わる重要な事項について自らが決定できぬようになる事だ」と。

これはそのまま今の日本の姿に当てはまります。
果たして日本は日本自身の重要な事柄について、アメリカの意向を伺わずに、あくまで自分の判断で事を決めてきたことがあったのだろうか。
これは国家の堕落に他ならないが、そんな国家の中で国民もまた堕落したのです。

物事の決断・決定にはそれを遂行獲得するための強い意志が要る。意思はただの願望や期待とは違う。その意思の成就の為にはさまざまな抑制や犠牲をさえ伴う。
現代の多くの日本人の人生、生活を占めているのは物神的な物欲、金銭欲でしかない。それはただ衝動的な、人間として薄っぺらな感情でしかない。
そして日本の今の政治はひたすらそれに媚びるしかない。それもまた政治家としての堕落に他ならない。
そうした堕落の構造の中で国家は、周りからの軽蔑のうちに徒に衰微し沈没して行くのです。我々は今、その大きな渦巻きの中にいるのです。

ちょっと休憩して、続きはいつになりますか・・・寝ます(午後9時44分です)。

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