2011年5月27日 金曜日  橋下知事が国歌斉唱時に起立しない職員に対して「起立しなかったらクビ」と発言しました。

反論も聞きたいと思いますが、私としては「至極当然の発言」だと思っています。

     知事は報道陣に、「府教育委員会が≪国歌は立って歌う≫と決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない」と指摘し、
「繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、
9月議会をめどに成立を目指したい」と述べたそうです。

政令市の大阪市、堺両市を除く府内の公立小中学校教員の処分権は府教育委員会にあるが、
大阪府教育委員会はこれまで、起立しなかった教員に対しては、懲戒処分では最も軽い≪戒告≫にとどめていた。
府立高校関係者は「大阪だけ厳しい処分基準を設けるのはおかしい。
処分権の乱用だ」と反発している。

私はこの記事を新聞で読んだ時、「日本は平和だなァ・・・」と思いました。(嗤い)
本当に笑ってしまいますよ。誰に笑うかは、おのずと知れた教職員に対して笑ってしまうのです。

「ルールを守れ」と子供達に言い続けている教職員自らが決められたルールを守らず、理屈をこねているのですからどうにもならないでしょう。
子供達にも示しがつきません。
子供を人質にとって、自分のわがままを言っているだけだと思います。
そんな理屈は一般社会では通用しません。

府教育委員会は2002年以降、府立学校に対して、教員が入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立するよう文書で指示しているそうです。
組織にいる人間は組織のルールに従うのは当たり前です。それが出来ない人には出て行ってもらうのです。これまた常識です。

例えば、一般企業で金髪の従業員がいる事は滅多とあるものではありません。
しかし、パチンコ屋さんなら普通に見ることが出来ます。それは、そういう人間が多く集まっているから誰もなんにも感じないのです。
感じないという事は「許される」と同義語だといっても良いと思います。


橋下知事は、大阪府の新規採用職員任命式では2010年から君が代斉唱を取り入れ、
「日本国の公務員が国歌をきちんと歌うのは義務」だと語っている。
至極当然の話だと思います。

大阪府教育委員会は2002年から、入学式・卒業式での君が代起立斉唱を教育現場に指導してきた。
それでも現場は言うことを聞かない。そこで教育委員会は職務命令まで出した。
それでも言うことを聞かない教員がいる。
情けない。これは組織マネジメントの話だと述べている。


また、公立学校の教員は公務員組織の一員で、組織の一員だ。職務命令に従うのは当たり前。
職務命令を繰り返して無視する公務員は、公務を去ってもらう。なぜこんなことが許されるのか。
組織の一員でありながら、組織決定に嫌だから従わない。

ふざけるんじゃない。民主的方法で決定を変えよ。
自分の考えを教育行政に反映させたいのなら、頑張ってそのポジション(決定権を持つ地位)に就けばいい。
自分の考えを実現しようと思えば血を吐く努力が必要。それもしないで命令無視を繰り返す。そんな教員を税金で養って食わせるほど納税者は甘くない。


大阪府教育委員会が国歌の起立斉唱を決めたのだから、その下で働くのであれば決定に従う。いやなら辞めればいい。
それが嫌なら、(自分の思うままに)決定できるポジションまで出世して「着席斉唱」を決定すればいい。
選挙で戦って、そのような大阪府のルールを作ればいい。決定するポジションというのは責任も負い、批判も受ける。


当然自分の行動はすべて公にさらされる。何をするにしても実名でもって報じられる。
そのような責任も負わず、出世の努力もせず、選挙で戦おうともせず、身分保証の下で組織決定を無視する公務員は公務を辞めるべき。
それが納税者の意思だ。

そもそも、入学式や卒業式という子供たちの晴れ舞台は、(特に卒業式は)子供たちの成長を振り返り、新たなステージを祝う大切な式典ですよ。
ここで、個人の思想良心を盾に教員が不起立。周囲は起立を促すが、頑なに立たない。
仕方がないので式は進行させる。保護者もざわつくが、子供は起立して立派に君が代を歌いあげる。
これが不起立教員のいる入学式、卒業式の実態です。

バカ教員の思想良心の自由よりも、子供たちへの祝福が重要だろう!!
公立学校の教員は日本国の公務員。税金で飯を食べさせてもらっている。国旗・国歌が嫌いなら日本の公務員を辞めるべきだろう。
君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。

ほとんどの公務員は国旗・国歌を大切にしている。公の使命を認識している。
自衛隊・警察署・消防署・行政職員・教員もほとんどはね。でも、一部にトンチンカンな職員がいることで、組織全体の信用が失墜する。
一生懸命に頑張っている公務員にとって迷惑だ。


日本国の公務員なら君が代に敬意を払え。敬意とは起立して歌うこと。これが社会の常識であり、国民大多数の普通の感覚。
せめて、子供たちの晴れ舞台は厳粛なムードで祝福してあげろ。
それが嫌なら日本国の公務員を辞めて、自分の主張を通せる職場に就けばいい。身分保証に甘えるな。

私(ワンコ1号)は、自由とは制限されるもので、無法と自由を混同してはいけないと考えています。


橋下知事は、これは君が代問題ではない。
「教員は職務命令を無視できるのか?の問題だ。」と述べています。
橋下徹知事は府施設での国旗の常時掲揚も義務付けるそうです。
また、「国歌斉唱時の起立義務化の条例を作らなければならないこと自体が恥ずかし。」とも述べています。



入学、卒業式でも国旗掲揚と国歌斉唱は平成元年の学習指導要領で義務付けられ、11年には国旗は日章旗、国歌は君が代とする「国旗国歌法」が施行されています。
府教育委員会は14年に府立学校教員に国歌斉唱時に起立するよう文書で指示。
不起立の教員は減少傾向にあるというが、それでも、
22年度の府立高校の卒業式で3984人、23年度入学式で2738人が起立しなかった。

橋下徹知事は、
「指示から9年経っても従わない教職員がいる。マネジメントが出来ていない。」と指摘、
「起立は府民感覚として当たり前。国旗・国歌を否定するなら公務員を辞めればいい。と述べています。




国旗・国歌訴訟判決  (産経新聞の記事から参考にしています。)

入学式、卒業式での国歌斉唱を義務付けた東京都教育委員会の通達について、
東京高等裁判所は控訴審判決で「思想良心の自由を定めた憲法に違反しない」と、合憲の判断を下した。

1審判決は「起立・斉唱の義務はない」などとした教師らの訴えを認めていたが、
これを取り消し、「慣習法として確立していた」と国旗・国歌を重んじた高裁判決は極めて妥当である。

受験シーズンを経て春の門出の季節を迎えるが、国旗・国歌を尊重するのは当然である。「強制」などと反発する教師の政治的な動きこそおかしい。

学習指導要領では、入学・卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱を指導することを明記している。
東京都教育委員会は平成15年、校長を通じ、教職員に国歌斉唱時に国旗に向かい起立し斉唱することを求める職務命令を出した。
従わない場合、懲戒処分などが行われている。

背景には、国旗国歌の斉唱に対する指導に反発し、学校運営や指揮を混乱させる教師がいるからだ。過去には広島県で校長が自殺する痛ましい事件が起きた。

平成11年の国旗国歌法制定以降も、反対する教師が相変わらずいる。
今回の訴訟で、189月の1審東京地裁は「懲戒処分をしてまで起立させることは行きすぎで違憲」などとした。
こうした教育現場の実態を反映しておらず、問題のある判決だった。


最後に、保護者も出席して生徒を祝う節目の行事で、一部教師だけ不起立の光景は異様だ。
国際社会でも自国や他国の国旗・国歌に敬意を払わない態度は認められていない。
教育委員会は教師の規律違反に今後も厳正に対処してもらいたい。


「日教組」なる存在を御存じでしょうか?
関心を持っておられる方は「リンク」させておきますのでお読みください。「日教組国賊論」は面白いですよ・・・嗤い。

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