2011年8月21日 新・堕落論 ≪安保条約について≫

「尖閣を守れるのか」に続いての安保条約です(念のため)

ちなみに現時点ならば、核兵器に関しては別として、日本が独自に保有する通常兵器での戦力は中国を上回っています。
F-15戦闘機200機による航空集団はアメリカ空軍に次いで世界第二位の戦闘能力があり、その訓練飛行時間は中国の寄せ集め機種での実力に勝っている。
制海権に関しても、保有する、一時に17発のミサイルを発射できる6隻のイージス艦を旗艦とする「六艦隊」は中国の現有勢力に十分対抗しうる。
予定のイージス艦10隻の保有が達成されたら、日本独自で制海権を優に獲得しうる。ということを、政府は国民に知らしめた上で尖閣諸島問題に対処したらいいのです。

もともと尖閣諸島に関する日中間の紛争についてアメリカは極めて冷淡で、中国や台湾がこれ等島々の領有権について沖縄返還後横やりを入れてきたので
日本はハーグの国際司法裁判所に提訴しようと、アメリカに協力を申し入れたのに、アメリカは、確かに尖閣を含めて沖縄の行政権を正式に日本に返還したが
「沖縄がいずれの国の領土かということに関して我々は責任を持たない」と通告してきています。
さらに、かつて香港の活動家と称する、実は一部軍人が、政府の意向に沿って民間船を使って尖閣に上陸し中国の国旗を掲げた事がありました。
一方同時に、沖縄本島ではアメリカ海兵隊の黒人兵士3人が、小学5年生の少女を強姦し、県民が激怒する事件が重ねて起こりました。
そのときアメリカの有力紙の記者がモンデール駐日大使に、尖閣の紛争がこれ以上拡大したら、アメリカ軍は安保条約にのっとって出動する可能性があるかと質したら
大使は即座に「NO」と答えた。
しかし不思議な事に日本のメディアはこれに言及せず、私(石原慎太郎)一人が、担当していたコラムに尖閣の紛争に関してアメリカの姿勢がそうしたものなら
安保条約の意味はあり得ないと非難し、それがアメリカ議会にも伝わり、当時野党だった共和党の政策スタッフがそれを受け、
議員たちも動いてモンデール大使は5日後に更迭されました。

ちょうどその頃、アメリカでは中国本土からの指令で動く「チャイナロビースト」からのクリントン政権への莫大な献金が問題化しスキャンダル化しかかっていたが、
それとモンデール発言との関係ははたしてあったのかどうか・・・・・。(私には意味がよく理解できません)

中国のロビーストによる金権工作は大変なもので、かつては彼等の金に動かされたアメリカ議会で、日系の議員までが、戦争当時の日本軍に関する従軍慰安婦の問題で
非難決議を行ったこともありますが、沖縄での事件当時クリントン政権へ、というよりクリントン個人への何故(なにゆえ)か厖大(ぼうだい)な献金がばれかかって
大統領の側近が画策し、同じ頃発覚した、大統領とホワイトハウスの若い女性スタッフとの不倫問題をクローズアップさせることで、
世間の目を巧みにそらしてしまったこともあったのだ。

さて、尖閣諸島の安保による防衛に関してのモンデールの発言ですが、実はこの発言には、というよりも安保条約そのものにはある大切な伏線があるのです。
多くの日本人は、安保条約なるものの内容をろくに知らずに、アメリカは事が起こればいつでも日本を守ることになっていると思っているが、それはとんでもない間違いです。

各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、
自国の憲法上の規定及び手続に従って対処するように行動することを宣言する。前記の武力攻撃およびその結果として執ったすべての措置は
国際連合憲章第51条の規定に従って直ちに国際連合安全保障理事会に報告しなければならない。
その措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全を維持する為に必要な措置を執った時は、終止しなければならない。(日米安保条約第5条)

ここで規定されている「日本領土への侵犯を受けての紛争」とは、あくまで軍事による紛争です。
尖閣でのもろもろの衝突事件は日米安保の対象になり得ないというアメリカの逃げ口上は、条約上成り立ってしまうのです。
だからヒラリー国務長官がいくらアメリカは日本の尖閣を守ってやると大見えを切っても、その後、彼女の子分のクローニー国務次官補が圧力をかけてきて
日本の政府にああした措置(船長の釈放:無罪放免で、海上保安管がユーチューブに動画を流す事件となった)をとらせてきたのです。

日米安保に関するもう一つの大きな不安要素については、ほとんどの日本人が知らずにいます。それはアメリカのれっきとした法律に「戦争権限法」だ。
これは戦争に関する大統領の権限を強く拘束制限する法律です。大統領は自分の権限を行使して新しい戦争を始める事は出来るが、それはあくまで60日間限りの事で、
その戦争のなりゆき次第で議会は60日を過ぎると、行われている戦争に反対し、それを停止させることもできるのです。

しかしこれは、彼等白人同士の結束でできているNATO(北太平洋条約機構)が行う戦争には該当され得ない。
だから現在アフガンで行われている不毛な戦闘には適応され得ないが、彼らが作って一方的に押し付けた憲法にせよ、それをかざして集団的自衛権も認めず、
日本にとっても致命的な、インド洋のタンカールートを守るための外国艦船への海上給油作業も止めてしまうような国での紛争に、
果たして長い期間の戦闘を議会が認めるのかどうか、ここらは日本人も少し頭を冷やして考えた方がいい。

今この時期に来て私はフランスの大統領だったポンピドーが、かつて中国の最高指導者だった毛沢東と会談した折の会話について回想録に記した事を思い出します。
ソビエトに協力を頼み水爆を造り、大陸間弾道ミサイルを開発しようとしていた毛沢東に、
「あなたはアメリカと戦争でもするつもりですか」と質したら、「場合によってはするかもしれない」と。
「そんなことをしたら、少なくとも3000万人〜4000万人の国民が犠牲になりますぞ」とたしなめたら、
「いや、我が国は人口が多すぎるので、それくらい死んだ方がましだ」と言われ、ポンピドーは唖然として二の句が継げなかったそうだ。

そうした中国が、核も含めて軍備を拡大すればするほど我々の不安は高まりますが、並行してアメリカの衰弱は進みその存在感は相対的に薄れているのに、
それでもなお我々は一方的にその相手にすがらなければならないのだろうか。
≪天は自ら助くる者のみを助く≫という人間社会の公理を、そろそろ和が身に当てはめて事を考える時期に来ているのではなかろうか。

ジャパン・ディッシング(日本無視)

核に関する議論は実は空しくて、今日の世界で一体だれが何のために誰に向かって核兵器を使っての攻撃を仕掛けるだろうか。
それを行った瞬間、世界中から被る非難と報復は計り知れまい。
しかしなお、精力的に彼等は核を弄ぶ。その所以は世界における自らの発言への力の裏打ちしかないが、それが実は他の領域、
例えば経済、産業に関わる国対国の交渉、外交の実務を実質左右しているのです。それが今日の世界を動かしている国際政治の原理に他なりません。
我々はその中で揺さぶられ続けているのです。

日本人の多くが殊勝一途に信じている≪国連≫などもそうした力学の舞台でしかありません。
大国が何か自国の利益に関わる重要な案件の採決の時、きわどい投票の折には金を掴ませて、一票を持つ後進国の委員に欠席させるといった作業は
日常茶飯事のこととして行われているのが実態です。国々の持つ力はさまざまあろうが、いずれにせよそれを顕在化させ拡大して示すものは軍事力による背景でしかない。
そしてその軍事力の芯にあるものは≪核兵器≫に他ならないのです。

そうした世界のメカニズムの中でこそ、日本の一有力政治家の発言にアメリカの高官が血相変えて飛んで来るという事態があり得ました。
なのにこの日本だけは、実質的為政者アメリカの言う事を沖縄返還以来、愚直に信じ続けてきたのです。
しかしなお、中川発言にライス(国務次官補)が血相変えて飛んできた時と今とでは状況ははるかに異なってしまいました。

中国の台頭をアメリカがどう受け止めているかは、これからの日本の命運を左右しかねない。
このまま日本の衰弱が続けば、アメリカの自国の利益を図る天秤の上での日本と中国の比重は自ずと違ってくるのは自明のことです。
現に日本に関するワシントンの流行言葉は、かつての日本バッシングから、パッシング(通過)、そして今ではディッシング(無視)と変わってきている。
旦那はどうやらこの日本という妾に飽きて、新しい浮気相手を探しだしているのです。

その証左の一つに最近アメリカは、東シナ海に遊弋(ゆうよく)しているはずの原潜に搭載していた、核も搭載できる「クルージングミサイル」の配備を廃止しました。
これはかなりの距離を低空で飛んで相手を破壊する、余程の技術を駆使しないと発見撃墜しにくい有力な手立てで、
広大な領土の中に様々な重要な施設を点在させている中国にとっては厄介な攻撃手段でしたが、僅か数年前に画期的な装備の改良を行ったばかりのアメリカが
突然これを廃止した所以は一向に分かりません。この問題についてアメリカが中国との間で、我々に知れぬ取引をする可能性は十分にあります。

いずれにせよ我々はアメリカという囲い主の言う事を、右から左にあまりに従順に聞き入れすぎるのではなかろうか?
こうしたマゾヒスティックな習性は一体何に発し何に培われたのかを、敗戦から65年という歳月が空費されたこの時点で、自らの再生のために惑わず見直すこと
この事が肝要だし、それを踏まえて再生のための手がかりとして、現実、具体的にまず何から始め直すかという事を模索すべきでしょう。
その手掛かりは今ならばいくつかある。要はそれについて本気で考えるかどうかという事です

長くなったので一旦終わって、≪核保有という選択肢≫に続きます。

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