2011年8月25日 新・堕落論石原慎太郎著から  

 ≪核保有という選択肢≫

尖閣に関する駆け引きの為だけではなしに、今後さらに多くの国際案件に関する交渉の手立ての一つとして、日本の国際的地位の確保の為にも
中川発言の余韻を酌量して、日本の核装備についてのまず国内での議論の誘発、ひいてはそのための技術的方法の検討が云々されることが必要です。

考えても見るがいい、核兵器による威嚇、危険に日本ほど危うくさらされている国が世界のどこにあるでしょうか。
極めて間近かに中国、ロシア、そして北朝鮮という日本に対しては決して好意的でない、非民主的で武断主義国家が控えているのです。
もし欧米の先進国が日本と同じ政治状況にあるとしたなら、彼等は当然自らの核兵器による報復の可能性を造成することでの抑止力整備に踏み切るだろうに。

そうした状況下でなお、≪日本に対する核の抑止力は絶対だ≫という虚言でこの国を追従させ、自国の覇権利益を優先させてきたアメリカが相対的に衰弱してきている今
さりとて我々は隣の中国の庇護を受けるつもりは全くない。
むしろ中国とも対等に渡り合う為にも、核による抑止防衛の意思を明示することが得策なのです。

日本が核保有に踏み切ればNPT(核拡散防止条約)体制が崩壊するという論理もまた欺瞞に満ちたものでしかありません。
1968年に採択されたNPTは
「核兵器の製造を停止し、貯蔵されたすべての核兵器を廃棄し、並びに諸国の軍備から核兵器及びその運搬手段を除去する」
と雄々しく謳っている。 しかしその現実を観るに、その後核を保有している列強は何をしてきたのか!! 
まさに「イエス・ウィ・キャン」「バット・ウィ・ドント」でしかありはしない。

日本はまず、先般アメリカが行ったようにコンピューターによる核実験のシミュレーションから始めたらいい。
それだけでまず国家としての強い意志となる。アメリカや中国、ロシアが日本に何を言う資格があるというのだろうか。これをやるなら韓国との協力で進めることも得策だと思う。
日本の現在の実力ならば、専門家の意見では核兵器は僅か2年弱で出来上がる。
いや、アメリカの専門家は、そのつもりになれば日本はわずか数カ月で核武装できるのではないかとも言っています。
現に日本の国内だけでも6万トン、日本がコントロールしている外国での原子力活動の分も含めれば30万トンもプルトニュームを保有しているのですから。

後はその運搬機能の問題だが、一部の政治家が口にしているような、今更ながらの原子空母が原潜の整備ではなしに、
例えば最近宇宙を60億キロ航行し見事に帰還を果たした小惑星探査機「はやぶさ」のように、太陽光線によるエネルギーでとてつもない距離を航行できる手段の採択も考えられる。
あの画期的な成功に喝采した日本国民の心情にはまだ救いがあるし、あれは我々が失いつつある国家としてのアイデンティティの確保のための素晴らしいメタファでした。
メタファとは(暗癒:あんゆ)という意味です。

そして他の先進国が、眉をひそめ、息をつめながらあの成功を見守っていたのがよくわかります。
中国は他国の宇宙船を攻撃する手立てを開発したとは云ったが、その対象とする目標への距離は「はやぶさ」とはかけ離れています。
当面日本が手中にしたあの新技術に垂涎するのは中国とアメリカに違いない。
我々がそうした新技術を活用してのプロジェクトに強い関心と意欲を持つという意思の表示こそが、我々を取り巻く状況を変えていくのです。

日本が核保有の関心を抱くということそのものが、周りからの経済制裁をも招くという懸念は当たり前のことだろうが、それをかわす方法はいくらもあるし、
第一彼らが非難する根拠たる「核拡散防止条約」には核の保有者の勝手な抜け道がいくつもあるのです。
あれは不拡散ではなしに、持てる国だけが際限なく核を増やすことを保証した条約でしかない。

条約の採択以来、日本を囲むアメリカ・中国・ロシア・朝鮮という核武装国がNPTを守ってきたのか。
条約を無視して、核兵器を大量生産してきたアメリカや中国が、日本が核を持つとNPT体制が崩壊してしまうからとけん制する資格がどこにあるのだろうか。
アメリカはかつて二発の原爆によって20万人もの非戦闘員の日本人を瞬間的に無差別に虐殺しました。
その日本が現況4つの核保有国に真近に包囲されているのに、一方では集団的自衛権を行使してアメリカと共に戦えといいながら、
この東アジアで露・中・朝が核武装している中で、なぜ日本人だけはそれに対抗して核による抑止力を持ってはならぬといい得るのだろうか。

日本の核保有が日本人自身のセンチメントを逆なでするというのなら、ここにまた新たな格好の救いの手があります。
アメリカが開発に手を染め始めた新しい戦略兵器のCSM(コンベンショナル・ストライク・ミサイル)です。
これは核弾頭を搭載せずに、それに匹敵する破壊力を持つ新兵器です。
地球をまたぐほどの遠距離を飛ばし、精密なGPS能力を持って目標に正確に命中するミサイルですが、飛ばす距離の長さを活用しての破壊力という事です。

日本の技術をもってすれば十分に可能です。 日本の最東端にある南鳥島が発進基地となれば、飛行による加速の破壊力は保たれます。。
国家が滅ぼされるのは嫌だが、それを防ぐための手立てに核の保有は嫌だ、しかし核以外の他の方法ならいいというのも面妖な話で、
我々は今置かれている状況の中で自らの国家を国家として存続させて救うためなら、手立てを選べぬはずです。
それが国家としての真の自立という事ではないのですか。

緊急事態に即しての核の保有に関する興味深い事例もあります。(以下ちょっと省略します)
春原 剛氏が「核がなくならない7つの理由」で述べられているように、核はそう簡単にはなくなりません。理由はいろいろありますが
1.戦争を嫌って恐れ、平和を維持するには「互いの立ちすくみ」が必要なのです。
第二次世界大戦の後の世界平和を保ってきたのは冷戦構造の主体者、アメリカとロシアが核開発で競争した為です。

2.核を保有している国には存在感があってそれを誰も無視は出来ないのです。
同じ軍事独裁政権国家でも北朝鮮に対するアメリカの姿勢と、同じ独裁国家ミャンマーへの姿勢は格段の違いがあります。
北朝鮮は保有している核のおかげで様々な成果を勝ち得ています。つまり彼等はアメリカも無視できぬ大物なのです。

3.今日では核製造のノウハウはしれていて、その気になればごく安く出来上がります。
そうせずにアメリカ様の核の傘(抑止力)に我が身をゆだねた日本、韓国、そしてヨーロッパの5カ国が、
その対価として支払っているものの大きさは保有国のそれとが格段に違います。

4.アメリカの大統領が何を唱えても既に核を保有している国々は面従腹背で、保有の特権を勝手に駆使してはばからない。
国連の常任理事国は即ち核保有の五大国でしかありません。彼らがドイツや日本を常任理事国する訳がない。

5.「絶対に信用出来ない隣国」を持っている国があちこちにあるのです。
インドとパキスタン、イスラエルとアラブ諸国、イランとイラク。これらの国々の対立は歴史が長く深く
その対立は容易に解消されない。されない限り緊張は続き、その緊張は核を手放せないのです。

6.核物質を使ったテロの可能性が高まり、そうした物質やそれを造る核研究者の流出が止まらない。

7.地球の温暖化によって化石燃料に頼るまいと、原子力発電を進める国が増えて、平和利用と軍事利用の境界線がぼやけてきているという事です。

そして核が戦争以外の手立てとして外交や経済の為に強いカードとして使われている現況の中で、如実に軍事的危機にさらされるまま衰運をたどるこの国が、
それを食い止めるための選択肢として、核やそれにも勝る戦略的手立てを模索するぎりぎりの瀬戸際に立たされているという事を我々は骨身にしみて覚るべきなのです。

日本人は世界で未曾有の原爆体験をしたせいで、こと原子力に関しては強いトラウマを抱えています。
それはこと戦略の為の原子力にせよ、産業のためのエネルギー使用にせよ、原子力という名がつくだけで思わず身構えてしまう節がある。
しかし現実に国家の利益を左右する交渉の背景に、実は、今では使われる可能性のほとんどない核兵器の保有が巧妙に使われている皮肉な実態の不認識。

あるいは地球の温暖化が進み人類の存在そのものが危機にさらされている今なのに、
今回の東日本の大災害で福島の原発が破綻すると、すぐに原発廃絶という声が高らかに起こって来るヒステリックな現状。
そして政治はすぐにそれに媚びて、太陽エネルギーなどへの大転換を謳い上げてみせるが、もう少し腰を据えて我々を取り囲む状況の実態を見据えたらいい。
そんな効率の悪いエネルギーで、北欧諸国のようなコンパクトな国ならともかく、日本のような巨大な産業経済社会がまかなえるものではない。

原子力発電は、要は管理の問題なのに、その次元での反省や努力も無しに、原子力という人類にとって画期的な技術を、
管理も含めて自らの為に完璧にものにする事なしに廃棄するのは愚かな事でしかない。管理に関してはフランス人が行っているのに、なぜ日本人が出来ないのか。
もう少し落ち着いて、周りの現実状況を見澄まして我がことの利益がいかに獲得され得るかを頭を冷やして考えたらいい。
トラウマは在っても、それがただのセンチメントとなってことを阻むのであれば、過去に払われた犠牲は浮かばれまいに。

司馬遼太郎の慨嘆  に続きます。

トップに戻る     HPに戻る

inserted by FC2 system