2011年7月31日 日常の一日を佐用町、上郡町、朝来市で過ごしました。

今年のいつ頃だったでしょうか・・・「桃の木オーナー」の募集が新聞に載っていましたので申し込みしたんです。

ちょっと小ぶりですが、赤く色付いた「桃の実」です。

兵庫県佐用町であるらしく、近いし村おこしの一助になるならそれも良いかな・・・で申し込みしました。
「完熟の桃」がキャッチフレーズだと思うんですが、残念ながらちょっと中途半端だった印象です。
桃の実は小さいし、自分で桃の木を選ぶこともできないし・・・・・「来年もう一度来るかい」「来年も申し込みして下さい」と聞かれたら、返事は「ノー」でしょう。

家族連れで来ています。 お母さんは記録係です。 桃の実のちぎり方を教わります。

30分余りで割当数をちぎり終えたので、近くの「道の駅:平福」で持参のおにぎり(私が作りました)を食べました。
この道の駅は智頭鉄道平福駅のすぐ傍ですが、それよりも「宮本武蔵」の生地とされる岡山県大原の近くといった方が話が早いかなと思います。

平成15年NHKの大河ドラマで放映されましたので、その時は大変な人出だったんです(私も行きました)が、今は鄙びた(ひなびた)田舎町です。

遠くに見えるのが平福駅です。 平福の象徴でしょうか・・・・ 武蔵「初対決」戦場跡地だそうです。

余談ですが、私は武蔵の生地は「兵庫県高砂市」だと思っています。拘るわけではありませんが、関心がある方は以前の私のサイトをご覧ください。
2003年(平成15年)3月頃のことですが、今このサイトをリンクさせようとしましたら、「提供サービス期間が終了」していました。
機会があれば作り直しますが「大変(な作業)」ですので、いつになるか分かりません・・・・・遊ぶのが忙しいのです。

突然ですが、「大鳥圭介」を紹介します。
幕末に上郡町の皆坂という所に生まれ、大阪の緒方洪庵の適塾に学び、幕臣として維新戦争で官軍と戦いました。
その後捕えられて牢獄に入りますが、赦(ゆる)され(赦免です)、一転して維新政府(明治政府)に出仕し、のち男爵として叙勲されたという波乱の人生を送っています。
時代背景が分からないので、なかなか理解できないと思いますが、ごく簡単に紹介したいと思います。

立派な銅像が作られています。 場所は上郡町庁舎の前にあります。

今日(8月4日 朝7:10)はここまでにします・・・・続きを作りましたのでご覧下さい。

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