2011年7月16日 土曜日 祇園祭に行きました。
宵宮に来ていますが、結論から言いますと、ものすごい数の夜店が出ているだけで、(姫路で言うと)規模の大きい「ゆかた祭り」といったところです?
ただ、御神体の装束?などには「重要文化財」の物も少なくないそうですから、やはり文化・歴史が違います。 日本人の心の故郷として継承して行くことが大切だと思います。
祇園祭では「山車」とよばれる鉾が有名ですが、見事な装飾が施されています。 ただ、自分ではその見事さが分かりません・・・パンフを見ながら書いています。 |
祇園祭の先頭は「長刀鉾(なぎなたほこ)」が受け持っています。そしてそれ以降は毎年の抽選(くじ取り式)で順番が決まるそうです。
ところで、長刀鉾とは何かというと、鉾の先っぽに長刀が結わえてあるのです。あまりにも高い所にあるのでよく見えないため下に拡大した物を入れます。
恐ろしく高いので全景が入りません。 | 宗近作の長刀は現在は複製です。 | 生稚児が乗れる唯一の鉾だそうです。 |
なお、山鉾は1番:長刀鉾から今年の32番:南観音山までありますが、とても全部を紹介できませんので名前だけ紹介します。
1 | 長刀鉾 | なぎなたほこ | 毎年「くじ取らず」として、必ず巡行の先頭を行く。 鉾頭にかざした宗近作の長刀は疾病邪悪を払いながら進み、刀の先は八坂神社と御所の方には向かない。 |
2 | 霰天神山 | あられてんじんやま | 京都に大火があった際に、急に霰が降り猛火がたちまち鎮火した。その時霰とともに小さな天神様が降りてきて 祀ったのが山の起こり。朱塗りの極彩色の回廊は見事。 |
3 | 孟宗山 | もうそうやま | 中国の史話「二十四孝」の孟宗から、病気の母の好物である筍を雪の中探し回り、遂に掘りあてて母を喜ばせた 説話を題材にしている。墨一色で描かれた竹内栖鳳筆の「孟宗竹林図」は異色です。 |
4 | 芦刈山 | あしかりやま | 貧しさのため夫婦は離別し、妻は都へ出て宮仕えをするが、夫が気になって探したところ、夫は落ちぶれて芦を 売っていたという、遥曲「芦刈」を題材にしている。御神体の衣装は重要文化財です。 |
5 | 函谷鉾 | かんこほこ | 古代中国の斉の時代、孟嘗君(もうしょうくん)が秦を逃れて函谷関に着いて、鶏の物真似で見事に脱出できた という故事に倣っています。前ダレは重要文化財です。 |
6 | 油天神山 | あぶらてんじんやま | 油小路通にある天神さんを勧請して作られた山です。天神さんと深い関係にある紅梅の枝を立てて 鈴をつけます。立派な朱塗りの鳥居が特徴です。 |
7 | 四条傘鉾 | しじょうかさほこ | 昭和60年、117年ぶりに本体が再興されたそうです。傘の上に御幣と若松を飾るのが特徴。 応仁の乱以来の傘鉾の原型を伝えています。 |
8 | 保昌山 | ほうしょうやま | 明治初年まで「花盗人山」と呼ばれ、平井保昌が和泉式部の為に紫宸殿前の紅梅を手折ってくる姿を表している。 山の故事に因み、宵山には縁結びのお守りが授与される。前ダレは円山応挙下絵の逸品です。 |
9 | 月鉾 | つきほこ | 月鉾町の山。屋根裏の草花図は円山応挙の筆、天井の源氏五十四帖扇面散図・前ダレのメダリオン絨毯は インド製。彫刻は左甚五郎作。破風・四本柱の飾り金具などすべてが豪華。 |
10 | 太子山 | たいしやま | 聖徳太子を祀る山。山の上に乗る「真木」は、他の山がすべて松だが、この山だけは杉を立てている。 前ダレは中国秦の時代「阿房宮(あぼうきゅう)」を描いている。 |
11 | 占出山 | うらでやま | 神功皇后が外征に際し、鮎を釣って戦勝の兆しとしたという日本書紀の話を題材にした山。 皇后は安産の神として祀られて、山鉾の巡行のくじ順が早いとその年はお産が軽いといわれる。 |
12 | 木賊山 | とくさやま | 世阿弥作の遥曲「木賊」を題材にした山。我が子を人にさらわれて、一人信濃国伏屋の里で木賊を刈る 翁を表す。等身大の老翁像(御神体)には元禄5年の墨書があり、右手に鎌・左手に木賊を持つ。 |
13 | 鶏鉾 | にわとりほこ | 名前の由来は古代中国の「堯(ぎょう)」から来ているそうですので、難しすぎて説明するに値しないでしょう。 代わりに、円山応挙をはじめとして、著名な方々の作られた諸作品は重要文化財もあるそうです。 |
14 | 伯牙山 | はくがやま | これもまた名前の由来は古代中国の「周」の琴の名人である「伯牙」に因んでいるそうです。 前ダレは中国明時代の作です。 |
15 | 綾傘鉾 | あやかさやま | 六人の公家(くげ)風装束をまとった稚児も巡行に参加します。 垂(下)がりと房飾りは、人間国宝の森口華弘氏が作られて寄贈された友禅染だそうです。 |
16 | 郭巨山 | かっきょやま | 貧困のあまり、母と子を養うことが出来ないため、思い余って我が子を山へ埋め捨てようとしたところ 黄金の釜を掘り当て、親孝行したという中国の史話「二十四孝」の一人郭巨の故事を名前とします。 |
ここまで書いて来て疑問に思うのですが、なぜこんなにも中国のお話が山(鉾)の名前の由来に使われているのか不思議です。 | |||
17 | 菊水鉾 | きくすいほこ | 町内にあった「菊水井戸」に因んで名前がつけられています。鉾頭には金色の菊花をつけます。 稚児人形には魏の宰相:文帝の勅使が出会った少年を表しているそうですが、話が難しすぎます。 |
18 | 白楽天山 | はくらくてんやま | 白楽天は中国は「唐」の時代の詩人です。この鉾には更に「トロイ戦争」、ベルギー性の絨毯、フランス製の ゴブラン織物、日本人山鹿清華作の織物など・・・国際色が豊か過ぎて分かりにくい鉾です。 |
19 | 山伏山 | やまぶしやま | 御神体の山伏は、昔、「八坂の塔」が傾いた時に法力で直したという○○の「大峰入り」の姿をあらわしています。 繭(まゆ)を紡ぎ、布を織り上げるまでの工程を描いた水引は珍品だそうです・・・よく分かりません。 |
20 | 蟷螂山 | とうろうやま | 「かまきり山」とも呼ばれますが、そのものずばりです。カマキリの羽や鎌が動くなど、唯一のからくり山です。 出典は「蟷螂の斧を持って隆車を禦(防)がんと欲す」を題材にしているそうです。 |
21 | 放下鉾 | ほうかほこ | 真木の「天王座」に放下僧の像を祀る鉾です。鉾頭は日・月・星の三つの光が下界を照らす形をしています。 新下水引は、「華厳宗宗祖師絵伝」を下絵にした綴織です。 |
22 | 岩戸山 | いわとやま | 古事記・日本書紀に記される「国生み」と「天の岩戸」の神話を題材にした曳き山(鉾) 御神体は「天照大神」「手力男命」だそうですが、振り仮名なしに読めますでしょうか? 私は読めますがネ。 |
23 | 船鉾 | ふねぼこ | 「日本書紀」の神功皇后の新羅(しらぎ)出船を題材にした鉾です。神功皇后の御神体は安産の神とされています。 巡行の際岩田帯を多数巻いており、祭りの後妊婦に授与され、安産のお守りとされます。 |
24 | 北観音山 | きたかんのんやま | 「上り観音」とも呼ばれ、揚柳(ようりゅう)観音像と韋駄天立像(いだてんりゅうぞう)を祀り、現在、後祭りの先頭を行きます。 松の真木に昔は尾長鳥を飾っていたが、現在は「鳩(ハト)」に変わっているそうです。 |
25 | 橋弁慶山 | はしべんけいやま | 遥曲「橋弁慶」を題材にして名付けられています。弁慶と牛若が五条大橋で戦うお話です。 前ダレは富岡鉄斎の原画「椿石図(ちんせきず)」、胴掛けは円山応挙の下絵「賀茂祭礼行列図」だそうです。 |
26 | 八幡山 | はちまんやま | 町内に祀られている八幡山を山上に勧請した山です。 鳥居には八幡さんのシンボルである「鳩」が2羽向かい合っています。 |
27 | 鯉山 | こいやま | 「隆門の滝」を登った鯉は龍になるという中国の伝説を基にした、立身出世の金言「登竜(龍)門」を題材にした山。 前ダレその他、トロイ戦争を描いた16世紀のベルギー製ですべて重要文化財です。 |
28 | 役行者山 | えんのぎょうじゃやま | 修験道の開祖、役行者(えんのぎょうじゃ)が葛城と大峰の間に石橋を掛けたいう伝説を題材にした山。 水引は「唐子遊戯図」「前ダレは「牡丹胡蝶図」「雲龍文様」との3枚継ぎだそうです。 |
29 | 鈴鹿山 | すずかやま | 伊勢の国鈴鹿山で、道行く人々を苦しめていた悪鬼を退治した鈴鹿権現「瀬織津姫命(せおりつひめのみこと)」 (勝手に読みました)を題材にした山。命は女人の姿で金の烏帽子(えぼし)をかぶっています。 |
30 | 黒主山 | くろぬしやま | 遥曲「志賀」を題材にした山。六歌仙の一人大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜の花を眺める様子を表します。 御神体の人形には寛政元年・・・と記されているそうです。 |
31 | 浄妙山 | じょうみょうやま | 平家物語の「宇治川の戦い」を題材にした山です。 「浄妙」は人名ですが、説明が長くなりますので割愛します・・・ごめんなさい。 |
32 | 南観音山 | みなみかんのんやま | 「下り観音山」とも呼ばれ、揚柳観音像と善財童子像を祀り、山鉾巡行の最後を行く曳き山です。 巡行には、諸病を防ぐといわれる柳の大枝を差し、山の四隅には菊・竹・梅・橘の木彫り薬玉をつけます。 見送りは日本画家「加山又造」さんの下絵による「龍王渡海図」です。 |
以上、簡単に説明を書き入れましたが、( )は私が勝手に振り仮名を入れたものであって正確ではないかもしれません。 とにかく、漢字が難しいので「読めないであろう・・・」と思って独断で書きました。間違っていたらゴメンナサイ。 それにしても、由来などは古代中国からとられたものも多く、祇園祭の歴史:伝統を感じます。日本の文化を守るという意味でも大切にしたいと思います。 |
長ったらしい文章による説明だけでは面白くないので、当日写した写真を入れます。なお、写真と説明文とはまったく一致しませんので御容赦ください。
絢爛豪華な装飾を、その一部分だけでも紹介しようと思ったんですが、よく分かりません。 パートUに続きます
当日は四国88カ所巡り最後の締めくくりである「東寺」も行ったんですが、紹介出来ませんでしたのでページを改めます。