2011年9月11日 日曜日 テレビドラマ「砂の器」を観ました。

題名の「砂の器」とは何を意味しているのでしょうか・・・?
昭和47年(1974年)に松竹で映画化された時に観た映画では、最初に子どもが砂で器を作って遊ぶ場面がありました。
今回のドラマではそういった場面は皆無でしたが、本来の意味を考えながらドラマを観るには必要な場面だったのではないかと思っています。

とは言え、ないものはしょうがないので、ここでゆっくり考えてみます。

砂で作った器ですから、どんなに固く作ってもさらさらと崩れて壊れてしまいます。
それを喩えて自分の欲求(我欲)のために、守ろうとした幸せさえも一瞬にして崩れてしまう犯人の心象風景を表していると思います。


幸せを築いたと思っても、それは宿命に流されるように端から崩れ、その度に主人公は過去を捨て、偽り、罪を犯す。
作っても作っても崩れる器に、彼は一体何を満たしたかったのか?  父と二人一緒にいた頃に満ちていたのは何だったのか?

答えはありません。
何故かというと、人間はそれぞれ違う環境に育ち経験をし、同じものは二つとあり得ないからです。
答えは自分で探すほかないのです。

ところで、下の写真が今回のドラマの配役です。

私が昭和47年に観た映画と比べながら感想を書きます。

まず最初に、主役が違います。
当時の映画は犯人である和賀英良と、彼を追い詰めていく刑事の今西栄太郎が主人公でした。
ところが、今回は若手刑事の吉村刑事が主役になっています。
若くて男前の玉木弘を前面に出して(主役に据えて)、視聴率を稼ぎたいのでしょうが、私はちょっと無理があったと思っています
なぜかというと、人間の心の襞を斟酌:忖度(しんしゃく:そんたく)するには、それ相応の人生経験を経ないと出来ないと考えるからです。

氏  名 役  柄 今回の配役 前回の配役
吉村 弘 刑事(今回の主役) 玉木 弘 森田健作
山下洋子 女性新聞記者で吉村の恋人 中谷美紀 登場しない
和賀英良 作曲家・ピアニスト・指揮者 佐々木蔵之助 加藤 剛
田所佐和子 和賀英良の婚約者 加藤あい 山口果林
辰井捜査一課長 警視庁刑事 榎木孝明 内藤武敏
黒崎捜査一係長 警視庁刑事 大杉 漣 稲葉義男
田島警部 警視庁刑事 西村雅彦 不明
三木彰吉 三木謙一の養子息子 原田龍二 松山省二
関川重雄 ヌーボーグループの音楽評論家 長谷川博巳 登場しない
三木謙一 本浦千代吉を保護した巡査 橋爪 功 緒方 拳
田所重喜 代議士で佐和子の父親 小林稔侍 佐分利 信
今西栄太郎 吉村刑事のベテラン上司 小林 薫 丹波哲郎
本浦千代吉 和賀英良の実の父親 山本 学 加藤 嘉
伊勢の映画館の支配人 六平直政 渥美 清
村(亀嵩)の巡査 不明 浜村 純
桐原小十郎 亀嵩の地元の古老 米倉斉加年 笠 智衆

犯人の和賀英良は今では天才とも言われる若手作曲家で、ピアニストで指揮者です。さらに、婚約予定の女性は元大臣の娘ですから順風満帆です。
それが、命の恩人の三木元巡査を殺してまで守らなければならなかったもの(知られてはならないもの)は何だったんでしょうか・・・・?

また、三木巡査が一目で「秀夫ではないか」と気付く「なにか」をもうちょっと工夫してほしかった。

ドラマでは父親(本浦千代吉)が故郷で資産家一家皆殺しの犯人(容疑者)だったという設定です。
それならそれでいいのですが、絶対的に描写が足らなかったと思います・・・私にとっては不満足です。
原作映画では父親(本浦千代吉)が生きていて、一目会ってやってくれと三木巡査から「強要」されたので殺してしまいました。

このドラマの時代設定は昭和35年だそうですから、原作(小説)の描く昭和30年と比べてもほぼ同じ時代です。
それにしてはいろいろ違和感を覚えるのです。
今回主役になっている玉木弘演ずるところの吉村刑事の恋人役:山下洋子はドラマに必要なんだろうか?
キャリアウーマンともいうべき敏腕女性記者(離婚経験者)という設定ですから、この時代にあっては違和感を覚えるのです。
食べる為に働かなければならないのであれば、時代を考えれば「売春婦」であった方がマッチする気がします。

着ている服がきれいすぎる。
コンサートホールが立派すぎるし、使われているピアノに至っては「スタインウェイ」ですよ。
一台1,000万円もするコンサート専用ピアノが、昭和30年にあるのは異常だと思うのです。
和賀英良が写っていた集合記念写真は当然「白黒」でしょう。天皇陛下が結婚されたのが昭和34年、ドラマはこの4年前なんですよ。

細かい事を言えばきりがありませんが、私はけなしてばかりいるのではありませんよ。
久し振りにいい映画(テレビドラマ)に出会ったと思っています。

涙が出ました・・・泣きました。  私が原作を観ていなかったら「最高傑作」といったかもしれません。

特に、戦争が終わって間もないという事を実感させるのに、空襲による一家(母親と妹)が全員死ぬ場面は説得力十分でした。
焼夷弾などということばは今では分からない人の方が多いかもしれません。

最後に、私の≪こだわりの砂の器≫を紹介してこのサイトを終わります

2005年11月に砂の器の故郷「亀嵩」へ行ってきました。

2005年初めて行きました。 2006年 2回目です。 2007年 3回目です。

今から思えば3年連続で奥出雲までよう行ったなぁ・・・思います。
奥出雲町も今では車が(道路が)発達していますから、そんな田舎には感じません・・・ちょっと残念な気もしますが。

こだわりの≪砂の器≫もこれ位にします・・・おやすみなさい。

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