「絵に描いたような幸せ」と「虫の知らせ」
2013年2月1日
会社を午前中で早退させてもらって、
「孫一郎」を連れて京都府久美浜町の夕陽が浦までカニちゃんを食べに一泊旅行に行く。
その前に、昼ご飯は加古川の「シャルール」でカツ飯を食べる事にする。
久し振りなのと孫を連れて行ったので(お客さんもいなかったし)、話が盛り上がった。
33才から5年間、38才まで加古川支店にいたので「早25年も経ってしまった」と懐かしい話になった。
1時過ぎにシャルールを出て、播但連絡道を和田山まで走って休憩。
そこからは一般道を走ることになって、ナビに旅館を登録するはずが・・・ナビの操作が分からない。
携帯で孫一郎のお母さんを呼ぶが返事がない。困った困った・・・とにかく走っているとお母さんと繋がって事なきを得た。
雪が降った時の用心のために、私の車(ビーゴ)はチェーンがないので、次男の車(ラブ4)を借りていく。
結果的に暖かくて、遠くの山の上に雪が残っている程度で、道路はまったく雪がなくスイスイ走った。
5時前に旅館に到着してお風呂に入るのに、自分が孫一郎を入れることになる。
シャンプーは専用の物を家から持って来ているし、服は着替えさせないといかんし・・・大わらわだったがなんとかできた。
カニちゃんの食事は、焼きカニ・カニ刺し・茹でカニ・カニのテンプラ・カニ雑炊と満足できるものだった。
さらに、わずか2才の子供でも、旅館の仲居さん達に「かわいい」「男前や」と言ってもらったら気分の悪いはずがない。
翌日は、ネット友達の「さすらいの滝人」さんから教えてもらっていた「火水風(ひみか)」でサザエを土産に買う。
@400円×2の800円也。 一袋に7個も入っているのは本当にお買い得だった。
2013年2月9日
今日から3連休、ゴルフに誘われて粟賀ゴルフ場へ行く。
例によって、○○さんが車で迎えに来てくれた。77才になっても運転は達者なもんだ。
前日から雪が降っていたので心配しながらコースに到着すると、案の定雪がうっすらと積もっていた。
しばらくすると雪が融け始めたのでコーヒーを飲みながら待つことにする。
しかし、数日前から痛めていた腰痛を更に悪くしたようで、午後からは止めたいくらいだった。
結果的に、翌日からはコルセットをして仕事に行くことになってしまった・・・・。
当然スコアはメロメロで、48:55の103点は情けなかった。
風呂に入って車で送ってもらっている途中に家内から、「相生が牡蠣をくれるので、今から相生まで行く」との事。
○○さんに「牡蠣は食べてですか?」と聞くと「大好き」との返事で、翌日持って行くことにする。
やはり送り迎えしてもらうと何等かのお返しをしないと気が引ける。
2月10日(日曜日)「虫の知らせ」
朝、昨日相生から貰ってきた牡蠣を洗って三○ちゃんに持って行ったら、
美○さんが出てきたので(牡蠣を)渡して「三○ちゃんは居るん?」と聞いたら、美○さんから
お母さんの起きてくるのがちょっと遅すぎるので、三○ちゃんが様子を見に母屋へ行ったら、倒れていて既に冷たくなっていた。
急遽、救急車を呼んで病院へ行っているけど、もうあかんと思う・・・という、あまりにショックな返事。
「何かあったら連絡してくれ」と頼んで自宅へ帰って、家内にその旨を伝える。
今晩か明日にお通夜になるかもしれないと思いながら、前から行こうと思っていた映画「東京家族」を観に山陽座へ行く。
映画「東京家族」は、お母さん(妻)が68才で亡くなってお父さん(夫)が一人残される。
お父さんは広島県の離島で一人暮らしになるし、子供達は東京で生活しているので帰るに帰られない。
高齢のお父さんを誰がどのようにお世話するのか?
どんな人も避けて通れない大事な話だ。映画館ではすすり泣く(声)音もしていた。
14〜15年後の私達をみているようで、身につまされるとはこの事かな・・・・。
帰る道々、家内とそんな事を話しながら「神戸グリル」でいつもの定食で昼ご飯を食べる。
自宅へ帰る途中に「三○ちゃんの家の前を通って帰ったら何かあるかもしれへん」と思って寄ってみると、
ちょうど三○ちゃんが病院から車で帰ってきたところだった。後ろにはおばちゃんを乗せた車がついて来ていた。
自転車から降りて「やっぱりあかんかったんか?」と聞いたら、「おう」。
「お通夜はいつにするんや」と聞いたら、「家族葬にする」。
おばちゃんが亡くなった・・・数えで90歳かな?
今朝倒れて、午後には亡くなって車で送られてくるとは・・・あまりにあっけなさすぎてびっくり。
足腰は元気で最近まで自転車に乗ったりしていたのに、「亡くなる時はこんなもんか」と、余りに突然で言葉もない。
普段、(よくあることなので)三○ちゃんがいなかったら牡蠣は事付けるだけなのに、
あの日に限って「三○ちゃん、おるん?」と聞いたから、朝からの顛末を話してくれたんやないかな。
ちょうどおばちゃんを乗せた車が帰ってきたところに遭遇したのも「虫が知らせてくれた」んやろか?
おばちゃんとは、おふくろも仲が良かったから殊更親近感があったのに、もう話をすることもなくなったんやなぁ・・・。
その他にも、いろんな事を考えていたら、「我が家は本当に恵まれているなぁ」と思う。
長男は中小企業ではあるが地元ではそこそこ(地場一流)の会社に勤めて、現在はマレーシアに赴任している。
せっかく建てた二世帯住宅がしばらく無人になると思っていたら、長女が夫婦で帰って来てくれた。
主人が「ますおさん」を我慢してくれたからで、
「同居なんかいやや」と言われていたらそれまでだったことを思えば、
「マンガ」のような「作り話」のようなありがたい話で、
孫一郎 孫四郎
孫三郎 孫二郎
現在は4人の孫ちゃんに恵まれている(全員男の子です)。
ダイハツを辞めて、キャリア採用で日本化薬(上場会社)に就職して大阪から姫路に帰って来た。
現在は、以前に私が住んでいた家に住んでいるのでいつでも会える。
収入は全く減らないどころか増えているそうだから、最近の就職状況を考えるとこれも本当にありがたい話だ。
さらに、孫ちゃんを連れて遊びにも来てくれる。
思い切って二世帯住宅を建てたのは本当に良かったと思っている。
その為の借金なんか苦労でもなんでもない。(実際はちょっとだけ負担だと思っているが・・・(笑))
2月11日(月曜日)は建国記念日でお休み。
朝、次男が迎えに来て長女の婿さんと二人でゴルフの練習に行った。義理の兄弟で仲良くしてくれるのはありがたい。
ただ、私は腰痛のためしばらくゴルフの練習は休もうと思っている。
その間に、読みさしになっていた小説「空飛ぶ広報室(有川 浩)」をベッドに横になって読んでしまった。
午後からピアノを弾いていると、次男一家が来て全員で晩御飯を食べる。
そして、「スカイプ」でマレーシアにいる長男夫婦・孫二郎ちゃんとも会話をした。
便利でありがたい話だ。今の時代は自分がその気になれば何でもできる。
その為にはある程度の勉強と、あらゆることに関心を持つことが必要だと思っている。
今できる事は今しかできない。始めなければ始まらない。
焦らず・慌てず・諦めず、工夫をしながら地道な努力を継続しよう。
余談だが、「建国記念日」という特別な祭日なのに特別番組の一つもないとは、日本人は自分の国をどう思っているんだろう。
日章旗(国旗)を上げている家も殆どない。
ただ、これは日教組が国旗・国歌を毛嫌いしていて、
家庭でも国旗を揚げさせない教育を学校で徹底したからであって、教育が間違っているのが原因だ。
一見、何と云うことのないごくごく普通の生活だが「これを幸せと言わずに何が幸せか」と、
世間一般から見たら「絵に描いたような幸せ」だと叱られそうな気がする。
家族は仲良くて、誰一人病人はいないし、子供達はそれぞれ結婚しているし、
子供(私から云えば孫になる)もそれぞれ授かっている。
私は定年退職(62才)してからも、再雇用してもらって現役で仕事に行っているのでそれなりの収入を得ている。
(65才まで勤めることができるので、ローンの返済も苦にならない)
結婚50周年記念:金婚式を祝った時の写真です。
余談ですが、バックに写っている「南無阿弥陀仏」は私が書いたものです。