2010年10月17日 日曜日 四国88カ所巡りは43番札所:明石寺(めいせきじ・本来はあげいしじ)に来ています。

明石寺が所在する宇和町は、宇和文化の里の開明学校、高野長英の隠れ家、多くの古墳など古代の遺跡が残されている歴史と文化の町です。

弘仁13年(822)に弘法大師がこの地を訪ねて、荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809?23)に奏上して勅命を受け、『法華経』を納めて諸堂を再興しました。
その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝です。
建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納し、また経塚をきずいて山号の現光山を「源光山」に改めました。
以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられます。

歴史を感じさせる本堂です。 幾多の戦災佛難を経てきたであろう山門です。

古からの歴史を感じさせる重厚なお社です。

本来の名前は「あげいしじ」ですが、現在は「めいせきじ」と呼ばれています。
土地の古老たちは、このお寺を親しみを込めて「あげいしさん」「あげしさん」と呼んでいるそうです。

この「あげいし」という名前は、その昔若くて美しい女神が「願(がん)」をかけ、
深夜に大石を山に運ぶうちに、夜明けに驚いて消え去ったという話を詠ったご詠歌の「軽くあげ石」から付いたと伝えられています。
8月の縁日には西日本各地から大勢の人々が集まり、終日賑わうそうです。

ところで、こうやって写真を見ていてもお寺さんの印象がすぐには思い出せません・・・・・・我ながら情けない限りです。
やはり凡人には記録写真が必要だと痛感します。(信心が弱いだけですが・・・・・・)

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