2010年9月12日 日曜日 「夫婦でのんびり散歩」は四国88カ所巡り 29番札所:国分寺に来ています。

土佐の国分寺といえば、平安中期の歌人、紀貫之(868〜945頃)が浮かんでくる。
とくに貫之が著した『土佐日記』は、女性の筆に託して書かれた仮名日記であることはあまりにも有名です。
貫之が国司として4年間滞在した国府は、国分寺から北東1kmほどの近くで「土佐のまほろば」と呼ばれ、土佐の政治・文化の中心であった。

しかし、由緒あるお寺さんの云うのはどこか「威張っている」のです。
あくまで私の主観ですが、そう感じられてしまうのです・・・・応対を見ていると分かります。
そういう時に思うのです、「弘法大師はこんな態度をどう思っているだろうかな?」 「お前ら、遍路に行って来い!!」

「摩尼山」と書かれています。山門です。 雰囲気があります。

庭園もよく整備されています。金堂(本堂)は修理中です。

近所の子供たちでしょうか・・・遊んでいました。 説明板があります。
修理中です。 酒断(さけだち)地蔵尊です・・・見てはいけません。

縁起によると、弘法大師がこの地を巡錫したのは弘仁6年(815)のころで、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置された。
その際に本堂で真言八祖に相承される厄除けの「星供の秘法」を修められました。以来、土佐国分寺は「星供の根本道場」となっています。

桔梗(ききょう)が咲いていました。 もちろん丁寧に手入れされています。 どこもかも立派です。
由緒あるお寺さんは違います。 立派な歌碑です。 国分寺の薬師如来は千年の・・・・・

本堂を背にして、春は桜、初夏には紫陽花、秋には萩と、心やすまる参道、創建当時の七重塔の心柱をささえた礎石、杉苔の美しい庭園が広がります。
また、高浜虚子の五女・高木晴子さん、長男・年尾さん、孫・稲畑汀子さんの句碑などがあります。

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