2010年7月10日 土曜日 四国88カ所巡りは80番札所:国分寺に来ています。

創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が国の特別史蹟に指定されています。
本堂は、鎌倉中期に再建されたものです。
周辺には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、唐招提寺の金堂に匹敵する規模を思わせます。
また、山門の右手には七重の塔の礎石も残っており、現存していれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったといわれています。
寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩が巨大な十一面千手観音像を刻み、本尊としました。
その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。
藩主・生駒氏や松平氏によって再興され、今に至ります。

また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)です。
当時の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。
ところが、城へ運ぼうとすると思ったより重く、ひと苦労。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。
そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へ帰りたい」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことになりました。
城に運んだ時と違い、今度はなぜか軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端に悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。

正面「山門」です。 仁王様が「睨んでいます」が・・・分かりません。
五時前ですから人もまばらです。 四国一可愛らしい弁天様の「七福神」が祀ってあります。
弘法大師堂ですが、堂内は写真撮影禁止でした。 しょうがないので、外へ出てから記念撮影です。
分かりますか? 佛足石です。 金箔の弘法大師です。

国分寺はその名前から分かるように、全国各地に時の権力の象徴として建てられています。
広い敷地に可憐な(瀟洒な:豪華絢爛な)宿坊、寺院が建てられました。
そして、それが地域の信仰の拠り所になって云ったのだと・・・私は信じています。

特異な形状の松の枝です。 これが「四国一美しい」弁天様です。
松並木がきれいです・・・これが境内ですよ。 これが「四国最古の梵鐘」で、重要文化財です。

変な言い方ですが、お寺さんによって受ける印象が全く違います。
それどころか、印象がない(残っていない)お寺さんもあるのです。

そんな中で、このお寺さん(国分寺)は広い境内と共に強く印象に残ります。
なぜでしょうか・・・・・それは「歴史を感じられるから」だと私は思っています。

特に歴史を表だって展示(誇示:誇らしげに示している)している訳でもないのですが、訪れる人々を魅了する何かがあると私は思います。

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