「私の履歴書」 目次です

パート1 勝松神社です

勿論、保城にあります
親父が
子供の時分にはここで遊んだと思います
パート2 (姫路市)手柄山にある
戦没者慰霊塔です

幸いにして、親父は
戦争に行かなくて済みました。
大勢の人が亡くなった太平洋戦争も
今では過去の事になってしまいました


書き留める事で平和の有難さを
考える事が出来るでしょうか・・・?
パート3 名古山にある「仏舎利塔」です。

ここもただの「お墓のある場所」に
なってしまうのでしょうか。
世界に戦争が起こる日がなくなることを
祈念します。

祈念する事でしか戦争反対と言えないのが
ちょっとだけ残念です。
パート4 おやじ、おふくろ、姉が眠る
我が家のお墓です。

右側の小さなお地蔵さんが
姉の水子供養のお墓です。
なんでしょう・・・・・・・・・。
パート5 思い出の品です おふくろが、私の娘に買ってくれました。
パート6 思い出の品です 私が小さかった頃は貧乏で、とても雛人形を
買ってもらえる生活状態ではありませんでした。

しかし、あったんですよ・・・・雛人形が。

こんなに立派ではありませんでしたが。
パート7
父と母の「結婚式」の写真です。

ここからは「ツーショット」を入れました。

「お疲れさまでした」の感謝の気持ちを込めて。
パート8 いつ頃の写真でしょうか・・・

場所は長良川だと思います。
私も最近あちこち遊びまわっています・・・


畑も作っていますので
遊んでばかりいる訳ではありません?
パート9 兼六園(金沢)での写真です。 私もここは3〜5回ほど来ています。

栗林公園の方が良いかもしれません?
パート10 「明石海峡大橋」が出来た時に
私の家族と(孫を連れて)行きました。
まさか海の上に橋が出来るなんて
考える事もできませんでした。
パート11 「三方五湖」での記念撮影です。

孫(私の子供)をよく連れて
行ってくれました
私は現在「耳順」ですが、いづれ「従心」と
なると思います。

こんな老後が迎えられていたら・・・・・
最終章 おやじの自筆を「額装」しました。



激動の

波乗り越えて

八十路穏やか
80歳を迎えた時の感想でしょうか・・・

苦労はしたけれど、今の心境は

「穏やか」だそうです。
参考 昭和52年4月30日 産経新聞に掲載された記事 恐るべき国鉄現場の実態 東洋大学長:磯村英一氏の意見です







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