2014年10月5日   

おろしや国酔夢譚を書きます。

大黒屋光太夫の話ですが、井上靖さんが小説を書かれています。
彼は江戸時代後期に漂流でアラスカまで流され、その後シベリアへ渡り、エカテェリーナ女帝に謁見した日本人です。

帰国後は通訳は勿論として、日本の外交政策に大きく貢献しています。



飛行機による移動が当たり前の現代でも、その移動距離(時間)にため息の出そうな距離です。
当時の日本は「鎖国」ですから、一旦国外へ出た人間は帰国が許されませんでした。

帰国すれば「死罪」です。
当時は「連座制」ですから、一族が全員殺されるかもしれません・・・。
そんな諸々の時代背景を知ってもらったうえで、読んでいただきたいのです。


     

光太夫の目に涙がうかんだ。

このペテルブルグにいても何の意味もない、と彼は、激した感情を抑えながら言った。
願書(願い書)を出しても反応はなく、さらに皇帝はペテルブルグを離れ、今後、期待できるものはなにもない。
キリロが自分をペテルブルグに連れて来てくれたことには、言葉では言いつくせぬほど感謝している。
しかし、冷静に情勢を観察するかぎり、ペテルブルグにとどまっていても無駄な日を過ごすだけのことだ。

「帰国できると思ったのが無理だと分かりました。諦めます。イルクーツクに戻り仲間達と死にます。それでいいのです」

無言で光太夫の言葉を聞いていたキリロは、しばらくの間身じろぎもせずに坐っていたが、立ち上がると光太夫に近寄り両肩をつかんだ。
痛いような強い掴み方だった。
「ツワルスコエ・セロに行こう」キリロは、甲高い声で言った。

光太夫は、目の前がかすみ、くずれるように床に膝をついた。
避暑のため皇帝が行っているツワルスコエ・セロに行ってみたところで、どうにもならない。
「もう、いいのです。いいのです」


彼(キリロ)は頭を垂れ、首を振った。そして、キリロは膝をつき再び両肩をつかむと
「何故だ、何故行くと言わないのだ。諦めたと言うのか」と肩を揺すった。

キリロは激しい口調でしゃべりだし、光太夫には早口なので断片的にしか意味がつかめなかったが、
ツワルスコエ・セロに行って皇帝に直訴する機会をつかむことに全力をつくせば、必ず道は開けると言っていることは理解できた。

「光太夫、諦めてはいけない。決して諦めてはいけない」

 

光太夫は、顔をあげ、あらためてキリロの顔を眺めた。
「これ程努力しても、まだ諦めてはいけないと言うのですか」光太夫は、弱々しげな声で言った。

「そうだ、全てはこれから始まるのだ」キリロは大きくうなずいた。


 


「皇帝陛下のお言葉を伝える」
椅子から立って光太夫に近寄った商務大臣は、神妙な表情で手にした紙を広げ、文面を読み上げた。

それは「願いにより帰国を許す」というものであった。

体が熱くなり、光太夫は頭を下げて途切れがちの声で感謝の言葉を述べた。

喜びが胸にあふれ、膝頭がふるえた。

「おめでとう」商務大臣が手を差し出して光太夫の手を握り、外務大臣代行も握手した。
近寄って来たキリロが、光太夫の体を強く抱きしめた。目に涙が光っている。
光太夫は、体を震わせながら椅子に坐り、商務大臣の口からもれる言葉を聞いていた。



私の感想を書きます。

話の前半部分(アラスカに漂着してからシベリヤに渡る間の怖ろしいほどの寒さとの戦い体験)を割愛しています。



上4枚が漂流からシベリアへ向けて行動する場面です。
同じ船に乗って漂流した仲間が、次々と亡くなっていったり凍傷で足を切断したりしていきます。

どうしようもない絶望感の中、「それでも生きるんだ」「日本へ帰るんだ」という信じがたいほどの「人間力:生命力:信念」を感じます。

諦めることなく、何処までも自分の気持ちを持ち続けたこと。
そして、それを支えてくれた友人(この場合はロシアの人々:キリロ)がいたから、気持ちを持続させることが出来たのだと思います。

歴史小説ではありますが「人間小説」だと思って読みました。

 

彼の出身地、三重県鈴鹿市にはこのような記念館もあるようです。
機会があれば訪れてみたいものです。

歴史に(時代に)翻弄された一人の日本人を紹介しました。


トップに戻る     HPに戻る

inserted by FC2 system