花はどこへいった  歌詞

花はどこへいった 〜 静かなる祈りの反戦歌

この歌はベトナム反戦運動の中で広く歌われ、「世界一有名な反戦歌」とも言われます。しかし、ピート・シーガーがこの曲を作ったのは1955年でした。
さらに、広く歌われるようになったのはそれから7年も後の事です。それがなぜベトナム戦争と結びつき、歌われるようになったのだろうか?

最もポピュラーな≪PP&M:ピーターポール&マリー≫のマリーでさえ「戦争に反対はするがリアルな戦争の実感はなかった」と云っています。
転機はベトナム戦争における1968年の「テト攻勢」だった。
アメリカにとって戦争が長期化(泥沼化)する中で、戦場がいかに悲惨であるかを伝える報道写真などによって、アメリカの世論は劇的に反戦に転じた。

1968年3月、ケサン海軍基地で兵士たちが「花はどこへいった」を歌う様子が放映され、この歌とベトナム戦争とが結びついたのです。
戦争の実態がアメリカ国民に知られるようになって初めて、反戦運動が高揚し、≪花はどこへいった≫はそのテーマソングになったのです。



ピート・シーガーは、ロシアの作家「ショーロホフ」の小説≪静かなるドン≫を読みました。
その中に、コサックの子守唄が引用されていました。
彼はこの歌(子守唄)にヒントを得て≪花はどこへいった≫をわずか30分で作詞・作曲したのです。

「戦争は戦場だけにあるのではなく、すべての人間に関わるものだ」ということを伝えたかったようです。


戦争を繰り返す愚かさを歌うこの歌が消え去るのはいつか?
答えは「可能性はある。みんなが希望を込めて歌えば≪いつか≫過ぎ去った過去の遺物になってゆく」でしょう。



日本語訳した歌詞を紹介します。


野に咲く花は どこへ行く   野に咲く花は 清らか
野に咲く花は 乙女の胸に   そっとやさしく 抱かれる


可愛い乙女は どこへ行く   可愛い乙女は ほほ笑む
可愛い乙女は 若者の胸に  恋の心 あずけるのよ


その若者は どこへ行く   その若者は 勇んで
その若者は 戦いに行く   力強く 別れを告げ


戦い終わり どこへ行く   戦い終わり 静かに
戦い終わり 土にねむる   やすらかなる ねむりにつく


戦士のねむる その土に   野バラがそっと 咲いてた
野バラはいつか 乙女の胸に   そっとやさしく 抱かれる

おおたたかし作詞 安井かずみ(補作詞)  ピート・シーガー作曲

歌手 園 まり・・・・・だそうです  昭和39年

ベトナム戦争について簡単に書きます(個人的な感情は一切入っていません)

1959年から60年にかけて南ベトナムで、アメリカと当時の独裁政権に対する武装闘争(ゲリラ)が始まったのが発端。
61年2月14日に解放民族戦線人民武装勢力(解放軍)が成立した。
一方、アメリカは62年2月8日、サイゴンに軍事援助異例部を設置した。
そして、64年8月の「トンキン湾事件」に続いて、「北爆」が開始された。

69年6月にはアメリカ軍54万人、衛星国の軍隊約7万人、南ベトナム政府軍60万人を合わせて、合計120万人の兵力が戦闘に従事した。
73年1月、キッシンジャー補佐官とレ・ドク・ト特別顧問の秘密会談で、ベトナム和平協定が一応成立した。

75年4月、ホーチミン作戦でサイゴンが解放され、ベトナム人民は独立と解放を達成。南北統一が実現した。





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