2011年6月14日 日常の雑感を書いている内に「日本は平和だなあ」・・・思って書いています。
「日の丸起立」は正しいのか・・・?
私は、正しいと思っています。良いとか悪いとかではなく「あたりまえ」と思っています。
どこの世界に自分の国の国歌に対して起立せずにいる人間がいるのか、アホも休み休みに言え!
それについての是非はちょっと置いておいて・・・
なぜこんなこと(学校では校長の指示が無視される)がまかり通るのか、これを考えてみたいと思います。
「学校の先生はアホや」これはよくいわれる話です。
頭の良し悪しではなく、社会常識がないという意味で「アホ」云々が言われていると思います。
学校では散々「ルールを守ろう」と生徒に教えています。
しかし先生は「(自分にとって)嫌なルールは守らなくてもよい」と言っているのです。
一般社会ではとても通用しないと思いますが、これが学校では通用するのですから驚きです!
また、父兄(来賓)・生徒(主役ですよ)に多大の迷惑をかけながら、一切の謝罪もありません。
今朝、NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」を観ていてふと思いました(気付かされました)。
卒業式は生徒にとっては「一生に一度」なんだと。
そこで教師は生徒に「卒業おめでとう」と言い、そして生徒たちはそれぞれ一名一名が自分の未来に歩みだすのです。
ドラマでは、教師が「幸せな涙」を流します。そして子供たちは泣いています・・・・。
卒業式で起立しない教師はこれを見てどう思うのでしょうか?
恐い顔をして、自分の主義主張が入れられないから「不平不満をたらたら言って」生徒を送りだすんでしょうね。
そして、それを見ている父兄・母親・来賓はどう思うのでしょうか?
「自分の主義主張を曲げない、立派な先生だ」と言ってくれるのか、それとも「常識のないアホな先生や」と言うのでしょうか?
たぶん「アホな先生や」と言うと思いますよ。
願わくば、私の孫にはそういう「アホな先生」には担任してもらいたくありません・・・・当たり前じゃ!
悪法も法なり・・・これも考えてみたいと思います。
さまざまな解釈ができますので、持ち出される場面でいろいろ意味が変わるようです。
・法が自分にとって都合の悪い答えを出したとしても、それを「受け入れなければならない」
・民主主義国家においては、法を適用される国民自らが立法に関与していますから、
いわば自分たちで定めた法律なのだから、たとえ問題があっても現在有効な法律には従わなければならない。
悪法といえども法律なのだから、勝手に破られては法の整合性、安定性が望めない。
・法が自分にとって都合のいい時だけはそれを享受し、都合が悪くなったら無視するということであり、これは不正義かつ不名誉なことです。
「消極的にとはいえ国家の法律を受け入れているのだから、美味しいところだけつまみ食いするようなまねは無しです(卑怯)」
というのがここで言う論旨だと思います。
あくまで個人の感想ですが、普段思っている事を書きました。