2013年5月4日 「みどりの日」という祭日。

集団的自衛権について考えます。

最近、憲法を改正しようという議論が起こっています。
私は改正に賛成で、一刻も早く改正するべきだと考えています。
しかし「絶対に改正はしてはならない:改正と言う改悪だ」と考えている人もいます。

どちらが正しいと思いますか?
答えは「どちらも正しい」のでしょうが、
「現実的な問題をどうやって解決するか」ということから考えるべきではないかと思って以下の文章を書きます。

 

政府の憲法9条の解釈でどのような弊害が出ているのか。

今年(2013年)1月、中東のゴラン高原の国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた自衛隊の部隊が撤収した。
17年間もの長きに亘り、現地で生活物資の輸送や道路の補修などを続けてきたものの、
シリア内戦の激化で隊員の安全確保が難しくなった。「残念だがやむを得なかった」。防衛省内ではそんな声が漏れた。

政府は、自衛隊を「我が国を防衛するための組織」と位置付けている。
そのため、海外における武器の使用は現在、それが国際貢献であっても、厳しく制限されている。

1991年のPKO協力法案の審議にあたり、政府は武器の使用が許される場合をこう説明した。
「自己または自己とともに現場に所在する我が国要員の生命または身体を防衛するために必要な最小限の武器の使用は、
憲法
9条1項で禁止された武力の行使にはあたらない」

持ってまわった言い方だが、≪刑法の正当防衛や緊急避難に該当するような場合以外は、武器を使用できない≫という事だ。
これでは民間人や他国軍が危険にさらされても助けに行けないし、任務を妨害されても武器を使って排除できない。

武器の使用を厳格に制約しているため、国連軍や多国籍軍への参加は当然許されない。


他国の武力行使と一体化する活動も不可能だ。こんな例があった。
2004年、イラク復興支援に参加した陸上自衛隊が、路上で横転している車両と血だらけの英国軍兵士を発見した。
指揮官は悩んだ。「これは事故か戦闘か」。
戦闘で負傷した兵士の救助は「一体化」とみなされてしまう。
事実関係の確認中にオランダ軍がやって来たが、「なんで助けないんだ」とあきれ果てていたという。

政府の9条解釈は防衛政策にも大きな影響を与えている。その象徴が、集団的自衛権の問題だ

200512月、日米両政府は北朝鮮などの攻撃に備え、海上配備ミサイル防衛網の共同開発で合意した。
大気圏外で弾道ミサイルを迎撃できるよう、イージス艦に搭載する「スタンダード・ミサイル3」(
SM3)の能力を向上させるものだ。
だが、防衛網が完成しても、自衛隊はアメリカに向かう弾道ミサイルを撃ち落とすことができない。
集団的自衛権の行使にあたり「憲法違反」となるからだ。

安倍首相は2013415日の読売新聞のインタビューで、
「日本のために配備されているアメリカのイージス艦にミサイルが向かってきて、
日本の艦船が防ぐ能力があるのに防がなければ、アメリカのイージス艦は破壊される。
これによって日本に飛んでくる弾道ミサイルから、日本を防衛する機能は失われてしまう。
それでいいと云う政治家は無責任だ」と述べ、憲法解釈の見直しに意欲を示した。

しかし、政府の解釈を積み上げてきた内閣法制局は
「論理的な追及の結果として示されたもので、自由に変更できない」と頑な(かたくな)だ。

残る道は9条の条文改正しかなくなるが、
それでは時間がかかり、朝鮮半島有事という「今そこにある危機」に対処できない恐れが出てくる。

日本維新の会の橋下共同代表は読売新聞のインタビューでこう嘆息した。
「内閣法制局という行政組織による憲法9条の解釈によって、政治家の態度振る舞いや法律の建て方、
もっと言えば国家の進むべき道が縛られている。国家として、政治家として、こんな恥ずかしいことはないですよ」。

 
多国籍軍に参加できない 

集団的自衛権は
「自国と密接な関係にある国への武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないのに実力で阻止する権利」。

日本政府は「自衛権の行使は必要最小限にとどめるべきだ」としており、
集団的自衛権はこの範囲を超えるため「行使できない」としている。

集団安全保障は「ある国が侵略行為をした場合、国連の判断の下、加盟国が軍事力などで侵略行為を除去する制度」。
国連憲章は国連軍による武力行使を想定しているが、これまで正規の国連軍が設置されたことはなく、
安全保障理事会決議をもとに多国籍軍を組織して対応してきた。
日本政府は、武力行使を目的とする国連軍や多国籍軍には参加できないとしている。

 
難しい話を難しく説明すると、余計に分かりにくくなります。

現実に即したたとえ話で説明する方がよく分かると思います。その点で、安倍首相の説明はよく分かる。

自分(日本)は相手(アメリカ)に(日米安全保障条約で)守ってもらっているが
私(日本)はあなた(アメリカ)を「見殺しにします」と言っているのですから、こんなおかしな話はありません。

新渡戸稲造さんの「武士道」は日本人の心を表していると、当時(明治時代)の欧米で評判でした。
今、この日本人論を話せる日本人が何人いるでしょうか・・・いないと思います。

「身分的に上位にある人が、下位の身分の人を慮(おもんぱか)る」心です。

また、あまりに有名な言葉に「武士道とは死ぬことと見つけたり」があります。
この意味を正確に知らなければなりませんが、上(↑)を参考にしてもらえばその一端が分かってもらえると思います。


とにかく、「責任を果たさなければ信頼は得られない」と云う事です。

最近の国政選挙の投票率をご存知でしょうか?
30〜40%台ですよ。これで責任を果たしているといえるでしょうか!

憲法を改正すると「戦争」で大勢の犠牲が出る・・・云々の話が出ます。
我が家(自国)を守るために犠牲を強いることを躊躇するでしょうか!
子供が病気になればすぐにでも病院へ連れて行くのです。
当たり前のことです。

隣の人(友人・知人)が事故でけがをしたら助けてあげるのです。
助ける方法はいろいろあるでしょう。 出来ることからお手伝いすればいいのです。

それができるようにしようとする「改憲」ですから、何ら異議はありません。
ただ、どういう風に考えられるかは個人の自由であって、私の意見が100%正解だとは思っていません。

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