「国歌斉唱せず」定年後の再雇用拒否は「適法」・・・東京高等裁判所

2010年1月28日、東京高等裁判所で上に書いたような判決がありました。

具体的には
定年になった高校教師が、再雇用をお願いした(申し出た)ところ、東京都教育委員会から「拒否」されたのです。
気に入らない(納得できない)元教諭たちは裁判所に訴えて出たのです。
何が気に入らなかった(納得できなかった)のかと言うと、東京都立高校の卒業式などで国旗に向かって起立せず、国歌も歌わなかったために「再雇用してもらえなかった」事です。

裁判長は判決の理由で「再雇用に当たっての裁量権は広く、(再雇用を拒否した事は)著しい乱用に当たるとは言えない」と述べ、
原告一人当たり約210万円の賠償を命じた一審の東京地方裁判所の判決を取り消し、請求を棄却したのです。

事件の背景を私なりに説明しますと
国旗に向かって起立し、国歌を斉唱するように命じた校長先生の職務命令に背いて(無視して)
「国旗に向かって起立して国家を斉唱させられるのは、≪個人の信条の自由≫を害する」として、命令に従わなかったのです。
という事は、(周りはみんな起立して国歌を歌っているのに)「座ったままで国歌も歌わなかった」という事です。

卒業式ですから各界の代表の方(来賓)も来ているでしょうし、それよりも圧倒的多数の父兄が来られていたと思うのです。
もちろん、卒業する生徒達は起立して国歌(君が代)を歌っているでしょう。それにも拘らず今回提訴した教諭連中は「知らん顔」です。
一種異様な光景でしょう・・・・・?

判決で「原告(元高校教諭達)は、職務命令に違反しており、低い評価を受けざるを得ない」と述べ、校長先生の命令は適法だと判断したのです。
また、国旗に向かって起立して国歌を斉唱するように命じた行為(職務命令)について≪直接原告の信条を否定するものではない≫として合憲としています。


私はこの新聞記事を読んで無性に腹がたったのです。

自分の信条に忠実と言えば聞こえは良いのですが、「周りは大変な迷惑」をしている(被っている)のです。
常識のある大人のする事ではありません。(周りの人々が起立して国歌を斉唱しているのに一人我が道を行くのですから)
権利を主張するなら、第三者(生徒とか父兄という意味です)に迷惑をかけない範囲で教育委員会なり校長なり教頭なりに話をするべきであり
弱い者(卒業生:生徒諸君)を人質にするべきではないと思います。

権利を主張するなら、その反対側にある「義務」を果たさなければならないというのが私の考え方です。
そして、「結果責任は負わなければならない」とも考えています。

この場合の結果責任とは「再雇用に応じてもらえなかった(失業した)」という事です。むしろ「当たり前」の判決です。
この辺りになると、いつだったか自民党の麻生首相が「医者は常識がない」と発言して物議を醸したことがありましたが
学校の先生は常識がない」と言い換えたら(世間は思っています)、「その通り」だと思います。


話は変わりますが、私が子供の頃は「祭日」といえば「国旗を掲揚しなさい」が当たり前の時代でした。
最近は祭日に国旗を掲揚している家を探すのに一苦労します。
何がどうなってこうなったのでしょうか・・・・・・・・国旗を掲揚することは悪い事なのでしょうか?

はっきりしているのは「日教組」が教育現場で大きな力を示し始めてからこうなったのです。
「子供を人質にとって」、我が方の言い分だけ言って、「他人の話は聞かない」という風潮が生まれたのです。(私はそう思っています)


話が長くなったのでもう止めますが、退職教諭達には
「まっとうな大人になりなさい、そして自己責任を果たしてから文句を言いなさい」を私からのプレゼントとします。






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