2011年9月1日  「やるだけやってみるよ」

読売新聞の「ティータイム」というコラムから紹介します。


息子が高校生になり、私は子育てから解放されつつある。
今後の道を探すため仕事を始めようと思うものの「きちんとできるのか」と不安ばかりが先立ち、求人雑誌に目を通すだけの日々が続いている。

そんなある日、部活動の練習から帰宅した息子が「9月から朝6時過ぎに家を出て、練習に行く」と言うのです。
私が、「体が持たないのでは」と心配すると、息子は「やるだけやってみる」とつぶやいた。

私もかつては、部活動の練習で忙しい毎日を起こっていた。「若さっていいな」と思いながら、ハッと気付いた。
今の私に必要なことも、先のことを心配し過ぎず、「やるだけやってみる」姿勢ではないかと思い当たったのだ。

練習に疲れ果てたのだろう。息子は早くも寝息を立てていた。
その寝顔に「大切な事に気づかせてくれてありがとう。お母さんもやるだけやってみる」と語りかけた。

神戸市在住の主婦 42才の方のご意見です。



次は「気流」という投書欄からの紹介です。

生きていること感謝する誕生日

子供の頃、誕生日は祝ってもらうものだと思っていた。子供を産んだ時は、親としてわが子が無事に生まれた事を感謝した日だった。
そして、母を亡くしてからは、自分の誕生日に母への思いを重ねている。
ヘルパーをしていた頃、あるお年寄りを訪問した。その日は偶然、その人の誕生日だった。
私がお祝いの言葉を伝えると、「齢を重ねるにつれ、これが最後の誕生日になるかもしれない、と思うようになった」と口にした。
お年寄りにはもっと重い意味があったのだ。

先日、テレビである歌手が、「自分の誕生日には、生んでもらったことへの感謝の気持ちを母親に伝える」と話していた。素敵だと思う。
誕生日は生まれてきたこと、生きていることに感謝をする日なんだ。
先日24才を迎えた息子は、何を思い、何を感じたのだろう。

京都府宮津市の52才の主婦の方のご意見です。

私もまったく同感で、先日誕生日を迎えた娘に同様のことを書いてメールを送りました。
さだまさしのコンサートを聴きに行った時に歌った≪バースデイ≫の中で「誕生日には、産んでくれたお母さんに感謝しよう」と言っていましたよ。



野田新首相へ    「子どもたちにも夢のある未来を」

私は小学6年生で、政治の事はよく分かりませんが、今の政治家は団結力がないと思います。
「今度こそ、日本を変える」などと言っては次々と首相を代えるだけで、世の中は何も変わっていません。

日本という大きなチームを引っ張っていくリーダーを決めたら、その人を支え、協力していくべきだと私は思います。
大人は「仲良くしなさい」と私たちによく言いますが、自分たち大人は仲良くしているかどうかを考えてほしいです。
震災は神様から与えられた厳しい試練だと思って、一致団結して乗り越えていくべきです。
首相という日本のリーダーをみんなが支え、私たち子どもたちに、今度こそ、夢のある未来を見せてほしいです

奈良県にお住まいの小学生 わずか11才の方の意見です。



野田新首相へ     「迷走する政治の軌道修正を願う」

民主党の野田佳彦新代表が、第95代の首相に指名された。
管首相のおどおどした態度に比べると、野田氏は堂々として頼りがいがありそうだ。

前日に行われた民主党代表選では、党員資格停止中の小沢一郎元代表が支持した海江田万里経済産業大臣が優勢だと聞いていただけに
≪良識≫ある結果になったと思う。
もし、海江田氏が選ばれていたら、常に小沢氏の影がちらつき、この国はどこに向かうのかと不安になっていただろう。
野田氏の演説を聴くと、様々なことに配慮していることが分かる。街頭演説で鍛えただけのことはある。
迷走する政治の軌道修正をお願いしたい

大阪府高槻市の68才  無職の方のご意見です



野田新首相へ    「情熱と志を持ち国民の思いくむ」


20年以上も前の事だ。当時無名の野田佳彦氏は千葉県のJR津田沼駅で、松下政経塾と書かれたのぼりを掲げ、辻立ちしていた。
私はいつも通りすぎるだけだった。しかし、ひたむきな姿は今も目に焼き付いている。
だから、野田氏が首相に指名されたニュースを感慨深く聞いた。
あの頃の情熱と志があるのなら、大震災の被災者をはじめとする国民一人一人の思いに歩み寄れるはず。
永田町の論理と決別し、国民の方を向いた政治を実現してほしい。信頼できるリーダーになって欲しい

東京都に在住  48才の主婦の方のご意見です




キリスト教の教義の一つに  ≪求めよ さらば 与えられむ≫ というのがありますが、これをどう理解されますでしょうか?

一生懸命≪下さい、下さい、下さい≫と神様にお願いすれば願いはかなうのでしょうか?
文字面(もじづら)をそのまま読めばそういうふうな理解(解釈)が当然だと思います。純粋の≪他力本願≫でしょうか。

本当の意味は「信仰を信じる心」です。
イエスは「信じる者には何でもできる」と言っています。すなわち、信仰があれば不可能はないわけです。
と書いてもまだ十分理解できないと思いますので、誤解を恐れずに私流の解釈を書きますと

≪最善の努力をしなさい、そうすれば結果はついて来ますよ≫だと思っています。


投書に戻って、赤で書いた部分に私は嫌な感じを抱いてしまうのです。
お願いしたい、なって欲しい、これらは人に期待はしますが自分はどういう行動をするのかが書いてありません。

少なくとも、≪野田新首相の主張である「消費税率アップ」「財政再建」に賛成します。
そして私はその痛み≪増税による生活苦≫に耐えますので施策を推進して下さい。くらいは言うべきでしょう。
それ(増税:それに伴う生活苦に耐えること)が出来ないのなら、軽々しく「お願いします」「なって欲しい」は言うべきではないと思ってしまうのです。

少なくとも68才の方、48歳の方が言う言葉ではないでしょう。
最初の小学生の意見は、この年齢で真面目に新聞を読んで自分がどう考えるか書いているのですから、むしろ褒めてあげるべきでしょう。
≪震災は神様から与えられた厳しい試練≫
これは小学生の考えには思われません・・・・(石原慎太郎さんの発言を知った)母親が言っているのではないでしょうか?

それに比べて、最初の方の意見は「やるだけやってみよう」ですから素晴らしいと思うのです。こうあるべきだと思うのです。

この意見の差(意識の差:ものの考え方の差)は大きいですよ!


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