2012年7月2日 月曜日 時刻は6:40で出勤前の忙しい時間にこれを書いています。

声優の前野智昭さん(30)をご存じでしょうか?
彼は有川 浩(ありかわひろ(女性))原作の「図書館戦争」というテレビアニメで、ヒロインの上官役(堂上篤:どうじょうあつし)を演じ、人気を集めました。
現在公開中の劇場版(吹き替え)でもこの役を務め、6月30日公開のアメリカ映画「アメイジング スパイダーマン」では主役の声を担当しています。

その彼に一般のファンがインタビューして、彼のいろんな考え方について質問しています。
私はこれを読売新聞で知ったのですが、若いのにもかかわらずしっかりした意見を持っているのに感心して、このサイトで紹介することにしました。
なお、作品(「図書館戦争」)は、表現の自由を守ることが大きなテーマだそうです。(私は、以前この本を読みかけたことがありますが途中で投げました)

ただ彼はこうも言っています。「表現の自由に限らず、今≪当たり前にある自由≫について、映画が考えるきっかけになって欲しい」


堂上役は、オーディションで決まりました。
「無名だった自分が、これでやっと役者として成長できる」と喜びましたが、本番まで期待と重圧(不安)が入り交じった気持ちで本番を迎えました。

無名だった自分が、これでやっと役者として成長できる」と喜びました。
本番まで期待と重圧が入り交じった気持ちで本番を迎えました。
一般社会人に置き換えるとヒラから係長くらいになったようなもんでしょうか?
「不安と重圧」という所にその気持ちが表れていると思います。

一般の女性ファンがインタビューで質問をしています。

私もアニメーターに憧れていましたが、もっと上手な人がいて諦めました。
前野さんのように、夢に向かって真っすぐに進むというのは難しいと思います。途中で迷いはなかったですか。
どうやって意欲を持ち続ける事が出来たのか」教えて下さい。

彼の答えですが

声優を志すようになったのは姉の影響が大きいです。
一緒にテレビアニメの「ドラゴンボール」に夢中になり、登場人物のまねをしたりしていました。
姉も声優を志していたのですが、結婚してその夢は諦めました。姉の分まで頑張ろうという気持ちが強かったですね。

姉は親に猛反対されていましたので、僕は勘当されても声優になるための学校に行けるように、高校1年生からアルバイトをして学費を貯めました。
親には自分の熱意を示そうと、高校2年生から学校の勉強にも励みました。
成績が上がり、大学への推薦入学の話もありましたが、それは断りました。

声優の学校では自分よりうまい人、特徴的な声を持つ人がいましたが、自信だけは失わないように持っていました。
中高生時代は、日課として声優のラジオ番組を聴き、「自分もいつかこうなりたい」という刺激を受け続けていたから、やる気を保てたと思います。

事務所に所属しても最初から仕事があったわけではありません。
全体の仕事は増えておらず、競争は激しくなる一方でしょう。他人を蹴落としてでもなるという気持ちが必要だと思います。
努力した人が必ず上に行けるという世界ではなく、運も大事です。
でも、実力のない所に運は来てくれません

姉の影響が大きいです。その姉が断念したので、その分まで頑張ろうと決心した。
親の賛成を貰えるように、学校の勉強にも励みました。
日課としてラジオ番組を聴き「自分もいつかこうなりたい」と刺激を受け続けていた。
実力のない所に運は来てくれません。
やはり身近な所に影響を与えてくれる人がいた方が頑張れますね。
今自分にできる事を着実に行う事が、目標達成には不可欠ですよね。
いつかは自分もこうなりたいと思い続ける事に尽きるんでしょう。
やはり、「他人任せ」には出来ません。
自分の道は自分で切り開くしかないのです。

余談ですが、私は昨年12月からピアノを習い始めました。
生まれて初めてピアノを弾くのですから、皆目指が動きません・・・嫌になりますが、それこそ「自分もいつかは弾けるようになりたい」の気持ちで続けています。
おせじにも上手とは言えませんが、半年経った現在、両方の指で鍵盤を押さえることができるようになってきました。
嬉しいですよ。この嬉しさがあるから続けることができるんだと思っています。


インタビュー3回目(最後です)を紹介します。
(登場人物の)堂上篤は、なんでもテキパキと対応できるので、「私もそうなりたい」と憧れています。
前野さんは今年で30歳になりましたが、仕事に対する意識に変化はありましたか?今後の展望を聞かせて下さい。


(30歳になり)今は、新人でもなくベテランでもない。
こういう具合にやれば大丈夫という「さじ加減」が分かってきましたが、現場の雰囲気に慣れても、仕事には慣れたらいけないと思っています。
誰がやっても良いような事を(大勢のやれる人がいる時)新人にやらせるという暗黙のルールがある時でも、自分が率先してやろうと常に意識しています。

今後はアニメに限らず、幅広い分野で活躍できる声優になりたいと思っています。
今回出演した映画「アメージング スパイダーマン」では、泣く場面で本当に涙を流し、役者と一体になれました。
でも、それは自分が泣きそうなくらい大変でした。

声の役割は大きいと思います。声を入れることは、命を吹き込むこと。
声優の表現力で、キャラクターの雰囲気ががらりと変わってしまいます。そこが声優のおもしろい所といえます。
事務所に所属できるだけで嬉しかった新人時代の気持ちを忘れず、攻めの気持ちで活動したいです。

仕事に対する意識の変化・・・そして将来の展望について。
新人でもなくベテランでもない。さじ加減が分かってきた。
自分が率先してやろうと常に意識しています。
幅広い分野で活躍できるようになりたい。
事務所に所属できるだけで嬉しかった新人時代の気持ちを忘れず、
攻めの気持ちで活動したいです。
百点満点の答えです。
ちょっと考え方が「老けている:老成」ということばを思わせたくらいです。
最近はなかなか「自分で考えて答えを出す」という事をやりたがりません。
指示をしてもらう方が「楽」なんです。結果責任がありませんからネ。
しかしそれでは自分自身の成長がありません。
叩かれて失敗して、しかし諦めずに努力する人間が大成するのです。


最後に私の感想を書きます。

まず最初に、私の父親を思い出しました。
私の父親は、大正4年の生まれです。(85歳で)亡くなって12年が過ぎようとしています。

水飲み百姓(パソコンでは一気に変換できませんでした:死語なんですね)の9人兄弟の末子(ばっし)でした。
もちろん経済的に恵まれていませんから、学校などやってもらえません。昔は多かれ少なかれそうだったんです。
しかし努力して国鉄に就職、その後次々と昇任試験に受かって助役になり、いつ区長になってもおかしくない所まで昇進しました。
結果的に、まじめ過ぎたのが災いしたのか区長にはなれませんでしたが、一生懸命努力したことについて、自分で自分を誉めています。


人間努力が必要なんです。
この頃は「競争」させるのを避ける風潮がありますが、 「相手に負けたくない」 「負けて悔しい」と思うから努力するのだと思います。

「みんな平等」はあり得ないのです。
考え方としての「平等」は権利として認められても、現実的には個人個人は全て不平等です。
女性の一番の関心事である「美人:可愛い」は千差万別です。一人として同じ顔をした人はいません。
はっきり言って「ぶさいくな人」は「美人」よりハンデがあるのです。逆に、「美人」は恵まれているのです。
これで平等といえるでしょうか?遺伝で美人とそうでない大勢の人は、生まれた時から差があるのです。

勉強にしてもそうです。 
遺伝的要素で、ある程度「できる」子供と「できない」子供は生まれた時から存在するのです。
更には、生まれた家の経済状態によって、学校に行きたくても行けない子供はたくさんいるのです。

高校・大学なんかとんでもない、中学ですら「夢のまた夢」という時代に生まれた(育った)私の父親は勉強したかったそうです。
これは「私の履歴書」という、私の父親が書き残した自分の一代記に書いています。
国鉄に就職してからも、自分で塾に通って「英語」「幾何」を勉強して、昇任試験に備えたとも書いています。
中学校に行けなかったので英語は習ったことがなかったのですが、昇任試験では中学出も高等小学校出も関係ありませんから・・・・。


話は元に戻って、人間は努力が必要なんです。
そして、いくつになっても成長しようという、「自分自身の気持ち」これが不可欠だと思います。
この気持が強いか弱いか、これは人によって差があるでしょう。
その差によって、結果は人それぞれに違って還って来ると思っています。

くれぐれも「他人(ひと)」をうらやましがらない。結果は「自己責任」だと肝に銘じる事です。
失敗はしてもいいし、その失敗経験が将来の成功を呼ぶんだと積極的に前を見る事です。

不東(ふとう)という言葉を紹介してこのサイトを終わります。
唐の時代、中国の高僧「玄奘三蔵法師」は仏典を求めてインドへ向かいました。「西遊記」で大勢の人が子供の頃からよく知っていると思います。
彼は大変な天才で、且つ眉目秀麗だったそうです。
彼は、時の玄宗皇帝の政治顧問に迎えられようとしましたが断っています。
当時、皇帝の命令に背くのがどれほど大変だったか想像してみて下さい・・・一つ間違えれば「死刑」ですよ。

その玄奘三蔵法師が「不東」と云って自分を自分自身で鼓舞・叱咤激励しているのです。
不東は「東せず」と訓読みします。
地図を見ればすぐ分かるのですが、中国から見てインドは西の方角にあります。
ですから不東は、「(インドで勉強して仏典を得るまでは)どんな困難に遭っても、決して東の中国には帰らないぞ」という強い決意が込められているのです。

私は薬師寺へ行った時にこの言葉を知りました。
玄奘三蔵法師のような大天才にして、なお且つ弱い自分に打ち勝たないと自分の信念を貫くことができないんだ。
弱い自分を克服するのがいかに大変な事なのか、あらためて感じたのです。

弱い自分は何も悲観することはありません。
工夫して、焦らず・慌てず・諦めず、自分自身が今できる努力をする事が大事なんだと私は思っています

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