我欲と天罰について    石原慎太郎都知事が釈明しましたが・・・・・

東日本大震災にかんして、石原都知事が「我欲:がよく」云々と言った事から謝罪・撤回しました。
3月24日発売の週刊文春3月31日号にその顛末が載っていましたので、ちょっと考えてみたいと思います。

最初にはっきりしておきますが、私は石原都知事の意見に賛成です。
反対の方も大勢おられると思いますが、まず賛成の立場から意見を書きますので、反対意見がありましたらあらためて反対して下さい。

最初に、石原都知事の釈明から紹介します。

この大震災は物質的な被害だけではない。私は、近年の日本が精神的にも重大な危機に陥っていると考え、警鐘を鳴らしてきました。
今回の大震災はそうした精神面での国難を炙り出したといえる。  3月14日、私はこう発言して批判を受けました。

「今の日本は我欲に縛られ、政治もポピュリズムでやっている。
この津波を利用して、我欲を洗い落とす必要がある。積年たまった日本人の心の垢をね。これはやっぱり天罰だと思う」

この時も「被災者の方々は可哀想です」と申し上げたように、これはあくまで被災された東北の方々、犠牲になった方々に向けられたものではありません。
確かに「天罰」という言葉は配慮を欠いていました。したがって謝罪し、撤回したのですが、あの発言には前段があります。
「去年一番ショックだったのは、おじいさんが30年前に死んだのを隠した≪年金詐取≫です。こんな国民は世界中に日本人しかいない。
日本人のアイデンティティは我欲になってしまった。アメリカのアイデンティティは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本は物欲、金銭欲しかない」

私の発言の真意は、この未曾有の国難の時こそ、日本人が矮小な我欲を捨て、人間としての連帯を取り戻して、危機に対処し、復興に当たるほかない。
それによって、精神的にも日本人が立ち直るきっかけにしなければ、震災の犠牲者に申し訳ない、というものでした。
その意味でこの地震を、我々は天からの「警告」「戒め」として厳粛に受け止めるべきだ、と述べたのです。

震災後の混乱にしても、少なからぬ部分が、この「我欲」に起因している。
それを端的に表しているのが、物資や燃料の買い占めでしょう。被災地の救助・復旧のために物資やガソリンを送るのが最優先である事は言うまでもない。
ところが、都内でもスーパーやコンビニでは食料品の棚は空っぽ、ガソリンスタンドにも長蛇の列が出来ている。
これが「我欲」であり、人間としての連帯感、価値観の基軸を見失った姿であると自覚するべきです。

それは個人だけにとどまらず、企業、それも公的な責任を負うはずの組織も、「我欲」としか言いようのない振る舞いをしています。
地震当日、東京の交通網はマヒしました。いわゆる≪帰宅難民≫が10万人以上出る中で、許し難かったのはJR東日本の対応です。

安全が確保されるまで、電車が運休するのはやむを得ません。
しかし、JRの各駅では早々にシャッターが閉められて、お客を寒風の中へ追い出したのです。
こうした災害時、駅は重要な避難場所であり、人々に情報を発信する拠点でもある。それを自分たちの都合で封鎖した組織エゴ、公の感覚の欠如を私は許せない。
JR東日本という会社の体質が露骨に出たというほかない。
都営地下鉄などが可能な限り早期に運転を再開し深夜まで稼働し続けたのに対し、JR東日本は夕方「再開の見込みなし」と発表、翌日も昼過ぎまで全面再開しませんでした。

もう一つの混乱と不安の源である電力でも、その根幹には「我欲」をコントロールできない日本社会の欠陥があらわれています。
この非常事態に最も優先されるべきは鉄道などの交通機関や、医療機関である事は誰の目にも明らかです。
しかし、現在、東京電力が実施している「計画停電」は、一律、地域ごとで行われていて、こうした優先順位がない。その為に様々なロスが生じている。

ちょっと休憩して・・・今日はここまで。

我欲と天罰についてU に続きます

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